家族が壊れるとき

中谷英貴です。

 今日は、提案も考察もできない話になりそうです。

 家族のこと。

 家族を信じられないと、とてもつらい。

 家族を信じるとは、
 文句を言わない、
 怒らない、
 相手を悪く言わない、
 いつも仲良くする、
 といったことでは、もちろんありません。

 できることなら、
 罵らない方がいい。
 傷つけあわない方がいい。
 互いに尊重しあう方がいい。

 自分を含めて誰もが、互いに大切だから
 時には口論もするし、
 衝突もする。
 そこにいることが当たり前で、
 そこにいる当たり前が崩れることはないという前提で
 それらは行われる。

 自分の当座の感情を満たすために
 自分の正しさを知らしめるために、
 いや、
 その根っこにある、
 自分が認められていないという思い込みに基づく
 怒りを相手にぶちまけるために、
 家族の誰かを消してしまいたい、
 いなくなってほしい、
 屑のように扱う、
 低能・卑怯呼ばわりする、
 無視する、
 そんなことが繰り返されると、
 やがてその家族を構成する誰もが
 自分のことを犠牲者だと思うようになり、
 互いの結合が徐々に弱まっていきます。

 残念ですがそれに似たことを、
 かつて経験しました。
 子供として、どうしたらよかったのかと自問すると、
 あまり認めたくないけれど、
 頑張って親を喜ばせるような生き方をしては
 いけなかったのかな、と思うときがあります。
 もちろん、これが正解というつもりはありません。

 今もよくわかりません。
 その代わり、束の間ではあっても、
 そんな状況に混乱している人の
 避難場所になれればと思います。

 お読みいただきありがとうございました。