思い込みの大切さ

中谷英貴です。

 思い込むこと、
 信じること、
 幻想に浸ること、
 原家族が壊れてからずっと、
 できなかったことです。
 社会人になったのに、
 大人なんだから、
 大の男が、
 と、
 その頃に言われたことを思い出します。

 今は自分の味方だから、
 そんなことを言われても平気だけど、
 あの頃はそういうことを言ってくる人を
 近づけてしまうような
 生き方をしていたと思う。

 とにかくその頃から、
 他者にとっては当たり前のこと、
 当たり前であることが、
 怖くて信じられなくなっていました。

 当たり前のこと。
 家族があることだったり、
 仕事があることだったり、
 人と仲良く話せることだったり、
 恋人と体を重ねることだったり、
 何かに没頭することだったり、
 未来は幸福に開けていると思うことだったり、
 腹の底から笑うことだったり、
 映画や物語を見て感動の涙を流すことだったり、
 何より、
 自分自身が今こうやって生きていてここにいることが
 当然であると思う必要もないほど当然だったり、
 夏がきて秋がきて冬がきて春がきて、
 それらの季節を肌で感じることが当然だったり。

 かけがえのない存在が内部から壊れてしまうと、
 誰かを悪者にすることもできない。
 電波で飛び交う犯罪者や戦犯のニュースが
 いつもどこかで自分と重なっていました。
 それが長い間、心の闇に巣食っていた。

 今は、父も母もまた、
 そんな葛藤に苦しむ
 不完全な独りの大人として
 私を育ててくれたんだと、
 理屈抜きに感じられるようになりました。
 昨今、毒親と言う言葉が使われることが多いけれど、
 あまり多用することをよしとしないのが、
 心理カウンセラーとしての私の見解です。
 きっと、世の中のカウンセラーさんや
 精神科医とは異なる意見でしょう。

 ただ、確かにそう言う見方もあるね、
 でもね、…
 と自ら続けられるようになると、
 自分が変わるし世界も変わります。

 父母を不完全な親としてもう一度愛したとき、
 この社会を、
 この国を、
 自分を育んでくれた家族や町を、
 出会った人々をそして自分自身を
 信じて生きてきた自分と、
 そして自分自身をもまた、
 信じて生きられるようになったと思う。

 お読みいただきありがとうございました。

自分の世界を生きようとしている間に、大切な人々がいなくなってしまった?

中谷英貴です。

 引きこもる方を座敷童子と、
 皮肉を含めて呼んだ人がいます。
 偉い某精神科医の方の言葉です。

 まだ引きこもる人が、
 ただ批判の目でのみ見られていた頃のことで、
 批判の的となっていた引きこもりの人が、
 実は家族の中で
 ある役目を担っているのだということです。

 座敷童子は東北地方で伝承された妖怪で、
 彼らがいる家は栄えると言い伝えられています。
 引きこもりの人が子供として居つく家が栄えている…
 という意味ではもちろんありません。
 ただ、例えば、彼らがいる家は、
 本来なら夫婦の間の葛藤が
 家庭崩壊の危機を招きかねない状況を、
 子供が引きこもることで、
 家の中のあらゆる問題を
 彼・彼女に帰結させ、
 時に夫婦が“協力して”対応を続けることで、
 家族を結びつける役割をしている、
 という解釈です。

 少なくとも一部の家庭には
 当てはまるのではないでしょうか。

 私は、子供の頃から
 父母の罵りあいに胸を痛めていました。
 眠るときに聞こえてくる彼らの悪態は
 時に子守唄代わりに聴く羽目になっていました。
 彼らの蔑みを投げつけあう様は、
 年を追うごとに凄まじくなり、
 高校生になる頃には、
 それぞれが私を味方につけて
 相手を叩きのめす協力をけしかけてくる有様。
 何度も仲をとりなしましたが、
 これ以上耐えることができそうになく、
 18歳で地元を離れました。
 その後、家族が離散し、
 自死者が出ることになったのは、
 原題のとおりです。

 息子である私が引きこもりになって、
 彼らとともに暮らしていたとしたら、
 原家族はまだそこにあっただろうか、
 父は自死を選択せずに済んだだろうか。
 墓参りやアルバムをめくる時に、
 ふと思うことです。

 それから、思い直します。
 自分ができる精一杯だったのだと。

 人は意味のないことはしない。
 不要な存在の人などいない。

 なぜか、文化庁長官だった故河合隼雄氏が、
 その昔、新橋のガード下で飲んでいる
 上司と部下の関係について、
 独自の見解を述べていたことが
 思い出されました。
 『飲みながら部下に説教している上司は、
 その部下にカウンセリングを
 受けているようなものなんです』

 お読みいただきありがとうございました。

それじゃ確かに苦しいな

中谷英貴です。

 気に入らないことは、誰にでもありますよね。
 気に入らないことが、
 どのくらいの規模か、
 どのくらいの頻度か、
 どのくらいの心の中を支配しているかは、
 人それぞれだと思うけど。

 子供の頃、居間ではいつも
 父が荒いため息をついていて、
 それが過ぎると
 母や私たちに当たりだしました。
 今思いだしても、
 家の中の空気が嫌な具合に張り詰めていました。
 一番権力を持っている人の八つ当たりは、
 文字通りの意味を超えてしまって、
 その集まり自体を破壊することがあるし、
 原家族は残念ながら
 その流れのままに進んでしまいました。

 後年、私自身が
 生きづらさを抱え、
 行き詰って、
 どうにも苦しくて
 仕方がない状態になって、
 その時の父の状況を良く思い出していました。
 いろんなことが絶望的に見えて、
 未来も真っ暗で、
 何かわからないけれど、
 哀しくて腹立たしくて仕方がなかった。

 何がおかしいんだろう。
 感覚が狂っているのかな。
 そう悩んでさえいました。
 自分が変なのかなと。

 ある時、ふと感じました。
 その状態は当たり前だ、と。

 理由はどうあれ、
 自分の感じ方、
 モノの見方、
 立ち居振る舞い、
 生き方の一つ一つ、そのどれもが
 苦しんで、
 悲しんで、
 怒って
 当たり前の世界と
 シンクロするようにしていたのだから。

 自分でその世界を作って、
 自分でその世界で苦しんで、
 でもその世界は自分以外の人たちによって作られて、
 自分はその中に強制的に
 存在させられていると思い込んでいる。

 それじゃ確かに苦しいかもしれない。

 お読みいただきありがとうございました。

『草枕』のパラドクス

中谷英貴です。

 私は、本を読むと、
 あーだこーだと考え込む性質です。

 心が追い込まれていると、
 本を読めない方がいますが、
 私はよほどのパニックにでもならない限り、
 酔っぱらおうが、
 熱があろうが、
 日中行き詰っていようが、
 文字を追うことができます。

 これを個人の資質と捉えるのかはわかりませんが、
 生い立ちがそうさせてくれたのかな
 と思うときがあります。

 家族がいなくなって、
 それが勝手に進行していって、
 なんだ、何が起こってるんだ、
 となって、
 そんなときに自分の置かれた状況を理解しようにも
 何をどうしたらいいのかわからなくて、
 明日どころか、
 今この瞬間にも
 頭がおかしくなってしまうのではないかという
 恐怖にも似た感覚のために、
 その解というか説明というか対策を求めて
 本の世界に飛び込むことさえあったから、
 文字を追うということは、
 そのまま何かの解決を求めることであって、
 だからどんなときでも、
 本が読めなくなる心持ちになることは
 まずなかったのだと思います。

 ちなみに、真っ暗闇の中では本は読めません。
 もちろん。
 
 そんな時に考えたよしなしごとの一つ。
 有名な夏目漱石大先生の名作『草枕』について。 

 次の書き出しは有名ですね。
 『智に働けば角が立つ。
 情に掉させば流される。
 意地を通せば窮屈だ。
 とかくに人の世は住みにくい。』

 智を働かせすぎても、
 情を掉さしすぎても、
 頑なに意地を張りすぎても、
 大変だからほどほどにしておこうよ、
 ということかなと
 解釈していました。

 私という人間が、
 何かといえば極端に走りがちだと
 自分のことを理解していたからかもしれません。

 「ほどほどにした方がいいよな」
 そう思って、何をするにも、
 ほどほどなる状態を探りながら、
 智情意を保とうとしていました。

 …その末に気づいたのは、
 ホントは自分はどうなっていて、
 何に傾斜していたのかがわからなくなってしまった
 ということです。

 自分のために、
 自分の内実を制御しようとしていたら、
 自分の感覚がマヒしてしまった、
 という笑うに笑えない話。

 とかくにこの世は住みにくいものだ、
 でも捨てたもんでもない、
 だから、
 とことん智を働かせて、
 とことん情を掉さして、
 とことん意地張って、
 自分の感じるように生きてみよう、
 それが今の解釈なのかな。

 お読みいただきありがとうございました。

自分を受容する練習

中谷英貴です。

 どれだけ歯を食いしばって頑張っても
 ものごとがよくならないことってありませんか。
 多くは人の関係か、仕事のことか
 そのどちらかであると思います。

 楽しいから行動するのではなく、
 やりがいがあるから行動するのでもなく、
 使命感や天命を感じるからでもなく、
 自分が至らなくて焦っていたり、
 他者の不備に憤りを覚えていたり、
 できないことで叱責や罵声が怖いから、
 頑張ってしまうということになると、
 やがて自分か周囲の人を
 “攻撃”するようになります。
 なぜなら、そんな行動、働き方のまま
 心が保つはずもないから。
 周囲とは多くの場合は
 家族の弱い部分でしょう。

 父と母や私たちの間には
 そんな悲しい出来事に含まれることが
 何度も起こっていて、
 実は我が家に限らず、
 当時(今も)の少なくない家族の中で
 繰り広げられていたのがわかったのは、
 カウンセリングのことを学んだ後でした。

 とは言っても、です。
 社会と接して、
 それなりの待遇とサラリーを得ている人は
 どうやったところで、
 頑張らざるを得ない境遇にあることが
 少なくないのも事実でしょう。

 そこで我が身にぶつけられてくる
 叱咤の声や業務成績への反映、
 何よりそれらと相まって自らを査定し、
 容赦なく貶める“内側”の声。

 その生き方こそが、
 自分のみならず大切な家族を
 壊していくことに気づいたら、
 自分を受容することを学ぶときです。

 そうでなくては、
 何でも意志の力で成し遂げられると勘違いし、
 自分や周囲を打ちのめしながら頑張って、
 最後は自分も周囲もぼろぼろになって消えてしまう。

 もういいんだ、
 これ以上痛めつけなくていいんだ、
 誰かが自分にぶつけてくることは
 その誰かの気持ちや考えであって、
 何よりも優先するのは
 自分の心と体を守ることだ、
 そう考えるところからスタートしましょう。
 考えるところから、と書いた通り、
 自然に内面の感情として
 湧き上がってくるようになるまで
 続けることが大切です。

 痛めつけられている自分を想起して、
 痛めつけている相手に反撃するのではなく、
 彼・彼女の横に寄り添って守ること、
 誰に何を言われようと、
 外から見れば、
 格好悪くて、惨めで、残念な
 自分の肩に手をまわし、
 背中を暖め、
 よくやっているよ、と声をかけ、
 その暖かさによって傷をいやし、
 痛めつけられないためにはどうするのがよいかを
 “一緒に”考え、日々を歩いていく。

 最初は三文芝居としか感じられなかった
 そんな自分を受容する心の動きが
 本格的に胸の中にしみいってくる頃には、
 自分の内面も周囲の反応も変わってきます。

 自分を痛めつけることをやめると
 周囲もそうしなくなります。
 あるいは、
 痛めつけられていると感じていた相手の挙動が
 実は適切な注意やアドバイスであったことに
 気づくことになるかもしれません。
 本当に痛めつけてくる相手には、
 味方が出てくるようになります。

 自分が自分を扱うように、
 世界も自分と接してくることを理解するまでに
 私は随分時間がかかりました。

 ここに時間をかける苦労は必要ない、
 それが私が身に染みて学んだことです。

 お読みいただきありがとうございました。

相反する感情が必要なくなる時

中谷英貴です。

 自らの中に、相反する感情が渦巻いて、
 自分が焦燥感にかられたり、
 親しいはずの相手と凄まじく対立しあったり
 する人がいます。

 私の父母はその典型だったし、
 かくいう私もまた
 若い頃に何度かそんな、
 誰も味わいたくない感覚にとらわれたことがあります。

 相反する感情って何でしょう。
 どうして一人の人や一つの物事に
 そんな矛盾するような
 正反対の方向へ向かうような
 感情が両立(?)するのでしょう。

 上述の父母の関係がずっと胸の中にあって、
 私が世の中とかかわる際の歪みとして出ていたこともあって、
 心理の世界に入った頃から
 どこかで答えを探していました。

 わかったこと。
 分裂した二つの自分なんですよね、
 この相反する二つの感情は。

 例えば、
 被害者意識という他者に向けた感情と、
 その裏側でそんな状態の一端を担う自分への罪悪感。

 憤りと無力感。

 子供の自分が内側で叫ぶ声と、
 大人の自分が感じる情けなさ。

 そう言った感情とその時の自分。
 白黒つける必要なんてない。

 ただ、今のそう感じる自分、
 そしてかつてそう感じていた自分
 双方をしっかりと、目一杯本気で感じ取り、
 彼ら彼女らが自分の一部である愛おしさに感謝し、
 ことあるごとにその感謝を繰り返す。
 ちょうど二人並んで歩く友人のように、
 時になだめ、時に勇気づけ、時にたしなめ、
 また一緒に歩き、座り、眠る。

 徐々に自分の中で一体化が進んでくるほどに、
 相反する感情が徐々に薄らいでいきます。
 もう必要がなくなるからです。
 自分の一部を切り離して
 時に相手に投影して、
 相反する感情を生み出していたのだから。

 自分を受け入れると、
 もう必要なくなるんです。
 私はその時、
 ふわりと愉快な感覚が
 自分の中に宿った気がしました。

 お読みいただきありがとうございました。

ワイワイ、ワクワクを求める前に…

中谷英貴です。

 自分を変えようと躍起になっていたことがあって、
 心理カウンセリングや精神医療の世界とは別に、
 あちこちのセミナーに通っていた時期がありました。

 どこへ行っても、ワイワイ、ワクワクしよう
 と言っていました。

 「そうなんだよな。
 ワイワイやって、
 ワクワクして、
 ノリがよく楽しくしなくちゃな」
 そう言う場所に行くたびに、そう思いました。
 というか、ほだされていたのかもしれません。

 ですが、どうも原家族の反動があるのか、
 ワイワイワクワクが、
 私にとって最初にたどり着く
 幸せのベースキャンプ地というか
 踊り場ではなかったようです。

 ひっそり、
 じんわり、
 ほんわか、
 ゆったり、
 しみじみ、
 ふぅ~…。
 なんかよくわかりませんが、
 そんなところに自分をおいてみて、
 その状態の自分が苦しまないことが、
 最初に欲しかったことのようでした。

 ワイワイもワクワクもいいけれど、
 それは時々あればいい。
 気がついたらそうなっている分にはいい。

 起きている時間の大部分をそれらが占めると、
 なぜか面倒くさくなる。。。

 自分が戻る場所ではないような気がしています。

 ちょっとしたつぶやきでした。

 お読みいただきありがとうございました。