『草枕』のパラドクス

中谷英貴です。

 私は、本を読むと、
 あーだこーだと考え込む性質です。

 心が追い込まれていると、
 本を読めない方がいますが、
 私はよほどのパニックにでもならない限り、
 酔っぱらおうが、
 熱があろうが、
 日中行き詰っていようが、
 文字を追うことができます。

 これを個人の資質と捉えるのかはわかりませんが、
 生い立ちがそうさせてくれたのかな
 と思うときがあります。

 家族がいなくなって、
 それが勝手に進行していって、
 なんだ、何が起こってるんだ、
 となって、
 そんなときに自分の置かれた状況を理解しようにも
 何をどうしたらいいのかわからなくて、
 明日どころか、
 今この瞬間にも
 頭がおかしくなってしまうのではないかという
 恐怖にも似た感覚のために、
 その解というか説明というか対策を求めて
 本の世界に飛び込むことさえあったから、
 文字を追うということは、
 そのまま何かの解決を求めることであって、
 だからどんなときでも、
 本が読めなくなる心持ちになることは
 まずなかったのだと思います。

 ちなみに、真っ暗闇の中では本は読めません。
 もちろん。
 
 そんな時に考えたよしなしごとの一つ。
 有名な夏目漱石大先生の名作『草枕』について。 

 次の書き出しは有名ですね。
 『智に働けば角が立つ。
 情に掉させば流される。
 意地を通せば窮屈だ。
 とかくに人の世は住みにくい。』

 智を働かせすぎても、
 情を掉さしすぎても、
 頑なに意地を張りすぎても、
 大変だからほどほどにしておこうよ、
 ということかなと
 解釈していました。

 私という人間が、
 何かといえば極端に走りがちだと
 自分のことを理解していたからかもしれません。

 「ほどほどにした方がいいよな」
 そう思って、何をするにも、
 ほどほどなる状態を探りながら、
 智情意を保とうとしていました。

 …その末に気づいたのは、
 ホントは自分はどうなっていて、
 何に傾斜していたのかがわからなくなってしまった
 ということです。

 自分のために、
 自分の内実を制御しようとしていたら、
 自分の感覚がマヒしてしまった、
 という笑うに笑えない話。

 とかくにこの世は住みにくいものだ、
 でも捨てたもんでもない、
 だから、
 とことん智を働かせて、
 とことん情を掉さして、
 とことん意地張って、
 自分の感じるように生きてみよう、
 それが今の解釈なのかな。

 お読みいただきありがとうございました。