変化の速度

中谷英貴です。

 「これだけ努力しているのに」
 「何度も試したけれど」
 「全然変わらない」
 「何もよくならない」

 そんな方は昔も今も少なくないと思います。
 私には、かつてそう感じて、日々どうしようもなく苦しみもがいていた時期がありました。
 原家族の離散や肉親の自死がもたらした心身の混乱と不調で、時に何をしたわけでもなく胃液がせりあがってきて吐いたり、腕が痛みによって肩から上に上がらなくなったり、といったことがあったりしたのですが、病院で検査を受けても異常が見つかりませんでした。
 その頃は、心に巣食っていたいくつもの感情 - なぜこれほど苦しまなければならないのかという怒り、信じていたものが突然消えて基準を見失ったが故の混乱、最も身近な人々をすら助けることができなかった無力感と卑下 - が、常時自分を責める声となって襲ってきてもいました。

 20代から30代にかけての活きのいい年齢だったことが、体力的には何とか持ちこたえられた理由かもしれませんが、あの頃はホントに文字通りきつかった。。。

 人は不快を避けて快を追う生き物だ、とは、とあるクリニックの医者から聞いた言葉です。時々、自己の正当性を主張して怒りにかまけている人を見ることがありますが、誰かに腹を立てていたり、混乱した感情を抱えていることが快であるはずがありません。
 原因が何であれ、私が自ら抱える負の感情が不快であり、その感情を抱えていることが自分を苦しめていること、何よりそんな状態にあることで愛着対象であった親兄弟とも距離ができてしまっていることに気づき、自らに変化を求めるようになりました。自分が変わらない限り、自分を取り巻く世界は変わりはしないというのは、当時は漠然と体に宿った直感のようなものでしたが、今からするとそれまでに読んだ本や出合った人々からうかがった言葉などが血肉になってそう啓示されたのかもしれないと思います。

 どんなアプローチをしたかは、この場でもたびたび触れていますし、ホームページではさらに細かく説明しているので、詳細は省きます。
 ただ、一つだけ言えること、それは長い時間をかけて内在化されてきた、心や体や魂に刷り込まれてきた感覚・反応が一朝一夕で変化すると期待しない、ということです。
 だって、そんな適当な生き方してこなかったでしょ?
 だからこんなに苦しんでいるんだし。

 逆説的ですが、自分が陥っていた深い闇を一朝一夕で払拭できないということは、日常の些細な出来事の一つ一つに、確実な対処を積み重ねることで対応することができる、ということでもあります。
 自分を肯定的に見るよう心掛けること(ここまでよくやってきた、素敵な自分だ、こういうところがうまくできた、など)、起こった小さな出来事の良い面を常に見つけること、そしてそうやって見出してきたこれまでにない自分を受け入れて変化する勇気を持つこと、などです。
 
 これを続けていくと、実は今もそれほど悪くなどないことを実感するようになります。過去の悪しき側面の呪縛から解放されるようになるのです。

 変わるということは、意識の外側にある何かの変容でもたらされることが多いものです。瞬間で変わったなどという話を聞いて、意識しているうちに、“圧倒的な”変化がもたらされることはそうそうありません。
 だから、今最悪な状態にあったとしても、絶対にあきらめないでください。開けない夜はない、と結ぶといささか陳腐かな。
 あきらめずに、続けていきましょう。

 お読みいただきありがとうございました。