残念だけど、誰かのせいじゃないことを、正面から受け止めよう

中谷英貴です。

 私たちは他者の影響を受けて、
 私たちになっています。
 少なくともそういう部分がある。

 他者とは、
 親であり、
 兄弟姉妹であり、
 子供であり、
 先生や友人であり、
 会社の同僚や
 隣近所の知人であり…。

 冗談だと思うかもしれないけれど、
 本やテレビやインターネットのメディア、
 趣味やボランティアで会う人々、
 街ですれ違ったり、電車に同乗した人たち、
 そんな人々にさえ、
 『しっかり』と影響を受けています。

 そうは言っても、
 もっとも色濃く影響を受けるのはやはり、
 子供時代を過ごした親からで、
 後の影響は
 家族時代に築いた世界観の上に
 もたらされるもの。

 そうやって作られた今の自分。

 仕事がどうもうまくいかないなあ、
 人間関係がどうにもくるしいなあ、
 何だかいつも鬱々としているなあ、
 つまり、仕事や人との関係や自分との関係で
 息苦しさを感じる日々が続くと、
 つい、
 誰か、何か、のせいにしがちだ。
 誰か、の中には、親ばかりか、自分が嫌う自分も入っている。
 何かの中には、周辺の環境だけではなく、
 道徳や法律や国や民族や伝統なども入っている。

 自分でも、
 どこかでそんな考え方、見方は変だと感じていて、
 でもその感じ方と真正面から向き合うと、
 弱い自分や蔑む自分という見たくない自分が
 自分の中に息づいているという
 理想とは程遠い現実とも向き合わなければならなくなるから、
 お酒に逃げたり、
 ふてくされたり、
 八つ当たりしたり、
 微妙に陰険になったり、
 暴飲暴食に走ったりする。

 あまり関心はしない、というか、
 おすすめは絶対にしないけど、
 一時しのぎなら、
 言い訳しようが
 愚痴を言いあおうが、
 そうすればいいです。

 でも往々にして、、
 それは習慣化する。
 ことに、
 口から取り込んだり、
 刺激を受けることは、
 無数の言い訳とともに、
 本当に習慣化しやすい。
 しかも、微量の麻薬がじわじわと効いてくるように、
 私たちのものの見方、感じ方を、
 言葉にしたこと、
 行動したこと、
 に見合うように導いていき、
 その結果、徐々に日常が変わっていく。
 ゆでガエルのように、
 気がつくとそんな状況にはまってしまっている。

 だから、実はそんなこと、
 要するに、
 誰か、何か、のせいにし続けることは、
 実は自分の心と体の健康にさえも
 道徳的にどうか、とか、マナーとしてどうかとは別に、
 とってもトッテモ損なのです。

 長々と書いたけど、
 自分の身に起こることを受け入れて
 その時凹んだり、格好悪かったりする
 理想とは程遠い自分も受け入れて、
 変えるべきところは変えていき、
 そのままで良いところはそのままにして、
 外側で起こる何かに惑わされることなく、
 自分ができる最善を尽くしていきましょう。

 お読みいただきありがとうございました。