かけがえのない自分を生き続けることが、好きと幸せを根付かせる

中谷英貴です。

 大好きな家族がなくなってしまった。
 大切な肉親が自ら逝ってしまった。
 その間に自分もまた、随分殺伐としてしまった。

 そんな状態だった私が持ち直しかけた頃、よく聞いた言葉。

 好きなことをしよう。
 楽しいことをしよう。
 自分が幸せを感じることをしよう。

 …でも、

 何をやったらいいかわからない。
 何も好きや楽しいや幸せを感じられない。
 試して起こった出来事たちはどれも
 何だか空々しく感じられた。

 だから、
 試しては立ち止まり、あきらめかけ、
 また、
 試しては立ち止まり、あきらめかけ、
 そんなことを繰り返した末にわかったこと。

 世の中の物差しや
 人の目を気にする前に
 既にあった自分という存在。

 生まれて、
 物心がついて、
 自分を紡ぎ続けてきたつもりで、
 喪ったり、
 別れたり、
 なくしてしまったり、
 そんな何かのきっかけから
 いつしか見失ってしまった。

 それがない状態で、
 どれだけ頑張ったって、
 どれだけ好きを追い求めたって、
 自分が納得する自分という生き方の
 骨格も器もない場所に接ぎ木するようなもの。

 素敵な何かを見つけたつもりになって、
 今の自分に継ぎ足しても、
 次の瞬間にはくたっと倒れ、落ちてしまう。 

 見失った自分とは、
 自分の中で遠ざけてしまった自分。
 その間に改変された過去が壁となって
 心の視界を遮っている。

 その壁は自分が作り上げたもの。
 見失った自分と出会って、
 もう一度瑞々しい思いを取り戻すと
 また、
 喪ったり、
 別れたり、
 なくしてしまったり、
 といった、
 この身を割かれるような
 胸が張り裂けるような、
 怒りで体がばらばらになるような、
 吐き気と眩暈で立てなくなるような
 そんな二度と味わいたくないはずの怖れを
 もう一度内包する可能性をも
 手にしてしまう。

 自分を受け入れ続けるうち、
 そんな怖れを乗り越えて、
 もう一度
 かつてあった自分に融合するにつれ、
 自分が行く場所が、
 自分が話す人が、
 その時々の自分自身が、
 今現在の感覚となって
 しっかりと自分に根付くようになる。

 かけがえのない自分を生きるという言葉は
 使い古された陳腐な表現だけど、
 でもまさに、そういうことで、
 好きとか
 幸せとかをも
 根付かせる土台になる。

 お読みいただきありがとうございました。