埋もれていた過去と新しい未来の扉の鍵

中谷英貴です。

 素敵な未来
 良い方向への自分の変化
 幸せな人生

 何と呼ぶかはともかく、
 とても抽象的で漠然とした、
 皆が求めていること。

 求める理由は、
 今がそうではないから、
 という人もいれば、
 今もまあ悪くはないけれど、
 もっとそうなってほしいという人もいる。
 
 私も同じで、
 やっぱりこの抽象的で漠然としたものの中にいる自分を
 いつも感じていたい、
 そう思っています。
 少なくとも、
 これを買うと幸せになる、
 これだけのお金がないと困る、
 こんな人と人脈を持つ必要がある、
 そういったテレビやネットの情報に振り回されて、
 自分自身の内側にある想いを蔑ろにすることだけは、
 何としても避けたい。

 今も記憶に残っている母の言葉があります。
 「自分も(個人で経営する)店を持つことができれば
 こんなにお金に困らないのに」

 もし、xxxだったら、幸せなのに。
 こう思う人を責められる人なんて誰もいないと思うし、
 他ならない自分自身が何度そう思ったことか。

 原家族が壊れるまで、
 そうやって私もまた、
 世間という実は実体のない存在の価値基準に従って
 形のある何かを求め続けていました。
 それは決して悪いことではないはずだけど、
 その土台、その手前に、
 当然あるはずのものが見失われてしまうまで
 大切なものの優先順位を
 体感できていませんでした。
 水や空気だってそうでしょうが、
 当然のものなど、
 どこにもないのだ、
 そう理解できたのは、
 ずっと後になってからのことでした。

 そんなわけで、
 時が流れて、
 原家族が壊れて、
 その流れ中で働き始め、
 それほど時間もたたないうちに
 私もまた母と同じ状態になりました。
 xxxがあれば、と。

 そして、
 結局具体的に何かするわけでもなく、
 今の状況に不平を抱きながら、
 今の状況を手放せずに、
 目の前にいくらでも存在する新しい世界の扉が
 自分のために開けられるのを
 じっと待っていました。

 自分の無力さを感じることを避け、
 自分が本音で求めるものを直視せず、
 そのため自分が何をしてよいかわからず、
 選択肢は外側から入ってくる情報が
 提供するものになってしまっていました。

 紆余曲折、さらに時が流れて、
 日々の生きづらさに苛まれ、
 窒息しそうな時間の中で、
 行き詰った感覚に支配され、
 自分の内側と対峙せざるを得なくなり、
 本当に欲しいモノを知るようになって理解したこと。
 それは
 本当はすでに自分が持っているものがあって、
 本当に欲しいものは何で、
 そのためにはどの扉を開けなければいけなくて
 ということ。
 そして、その扉を開ける鍵もまた、
 しっかりと自分の中に備わっているということ。

 過去はそれを引きずっている限り、
 過去の適切な時間に戻ることなく、
 ずっと私たちを追いかけてきます。
 ほら、よく見ろ、まだあの時の苦しい自分が
 ここにいるんだぞ、と。
 そして、今ここへの没頭を妨げてきます。

 だから一度ならずとも、
 自分が歩んできた時間を見つめなおして、
 そこにある想いを汲み取りたい。
 その想いの中にくるまれている鍵、
 欲している未来への扉を開ける鍵を手に取り、
 自分の意志で開けることができた時、
 新しい未来へと歩みだすことができる。
 そう感じています。

 お読みいただきありがとうございました。