望む未来って何だろう

中谷英貴です。

 今の充実が続いていること。
 それが望む未来であれば、
 いうことはないです。

 でも、“今ここ”と言われながら、
 “今ここ”から脱出したい、
 とさえ思っている方も
 少なくないはず。

 望む自分の未来を具体的にイメージしましょう、
 そう、よく(?)聞きます。
 するとそのイメージに向けて、
 自分も周囲も動き出しますよ、と。

 そんな時、
 たいていの人が答える未来の自分のイメージとして、
 大金を持ち、
 大きな家に住み、
 素敵な異性と結婚して、
 何の不安もなく・・・。

 何だかとても抽象的ですね。
 あるいは先ばかり見ている、
 ということかな。

 私が子供の頃、
 母は口癖のように、
 「お父さんが定年退職したら、一緒に世界一周旅行をする」
 と言っていました。
 現実には、父母は
 毎日修羅場のような泥仕合を演じていて、
 泣くわ
 喚くわ
 怒鳴りあうわ
 貶しあうわ
 侮蔑するわ
 憎しみあうわ
 と、
 吉本でも笑いに変えるのに
 苦労するんじゃないかと思えるほど、
 そこまで言ったら、
 もうすでに人の関係じゃなくなっているという
 言葉と行動のやり取りが続いていました。
 今だからこんな形で表現できるものの、
 当時は少年だった私も二人の見えないところで
 泣き崩れるような状況だったので、
 子供心に何を考えているんだろうと、
 不思議には思っていました。
 そんな先のこと言ってる前に、
 今のその状態を何とかせにゃならのじゃないかい?
 ということです。

 そんな環境のせいかどうかは知りませんが、
 私が望んだのは、
 過去に追われることなく、
 日々平穏に過ごすことができ、
 出かける場所ができ、
 新しい友達ができ、
 小さな楽しみができ、
 ちょっとした希望ができ、
 といったことでした。

 それがある程度実現できたかなと感じたのは、
 私自身の内面と向き合い、
 自分の今の状態を知り、
 そこから何をどうしたら現実にできるか、
 試行錯誤を何度もなんどもく繰り返し、
 それに沿って行動し
 時に失敗し、落ち込み、腹を立て
 それでも泥臭く自分のペースで続けた
 その末のことでした。

 そして多少なりとも望んだ未来が見えたと思うと、
 今度はまた次の場所に行きたくなります。

 振り返れば、
 望んでいたことというのは達成ではなくて
 そのプロセスじゃないのかなと思っています。

 少しきれいすぎて聞こえたらごめんなさい。

 お読みいただきありがとうございました。