心の自然治癒と投薬

中谷英貴です。

 私は、カウンセリングを受けていた頃から
 薬を常飲していませんでした。
 本の一時期、マイスリー:最も軽い睡眠薬
 飲んでいた時期がありましたが、
 体に出る症状は
 自分の生き方の結果に対するメッセージだと
 感じるようになってから、
 飲むのをやめてしまいました。
 眠れないなら、そのままそっとしておこう、と。

 睡眠はとても大切です。
 そんな言葉では表現しきれないほど
 優先して時間をとるべきことです。、
 呼吸の次くらいに大切だと言ったら言い過ぎ?

 でも、体がどうにも眠ろうとしていない。
 体というより脳、心ですね。

 仕事や人の関係で行き詰り、
 長期的な展望が感じられないときに
 どうも私はそうなるようです。

 そして、その根源まで丁寧にダイブしていくと…。
 原家族のこと、
 父や母と過ごした日々に行きつきます。

 かつてのある頃には幸せで、
 かつてのある頃には面倒くさくて、
 かつてのある頃には恨みさえ感じた
 彼らとの時間は
 今はただ懐かしい記憶の中に眠っていますが、
 それがある一時期、
 そうやって私を眠れなくさせてしまうような
 世の中の見方、自分の捉え方となって
 あらわれていたことに気づくまで
 少しばかり時間を要しました。

 精神障害の診断マニュアルであるDSMの作成にも携わった
 オランダ=米国の精神科医ヴェッセルヴァンデアコーク氏は
 「薬は必要だ」と言います。
 しかし、症状の改善は、ともすれば根底にある
 メッセージとの対峙を妨げる、とも。
 同様のことを臨床心理士のテレンスリアル氏も述べています。 

 リアル氏によれば、
 薬は補助薬だと言います。

 そんなことを学んできたせいか、
 ちょうど私たちの体に
 自然治癒の能力が備わっているように、
 心にもまた同じことが言えると思っています。

 では、精神とか心における自然治癒とは
 何をさすのかと考えると…、
 一つは生き方、
 もう一つは自分を含む他者や世の中との接し方
 そして、働き方ではないでしょうか。

 鬱の薬(プロザック)が開発されて
 ずいぶん時間が経過しました。
 その間、一向に患者数が減らないのは、
 決して薬が必要ないという意味ではありませんが、
 それ以外のことに目を向ける必要性があるのかな、
 そう思うときがあります。

 お読みいただきありがとうございました。