頑張って成功すること、力を抜くこと


中谷英貴です。

 第二次大戦後に生まれたほとんどの人は、
 頑張れば成功する、という思想を植え付けられて
 育っています。

 そんなの嘘っぱちだよ、と
 斜に構えているような人でさえ、
 うまくいかない本当の理由は自分の中にあって、
 だから実は結構な割合で自分のことを責めていて、
 それをそんな形で表現していたりもします。

 私もまた御多分にもれず、
 そんな思想が底を流れる社会にどっぷりつかって
 育ってきました。

 それが、
 原家族が離散し、
 肉親が自らこの世を去り、
 一命をとりとめたものの一人が後を追おうとするに至って、
 自分の出自と家族の生い立ちについて
 もう一度振り返りを行う決意をしました。

 幾ばくかの落ち込んだ、無力感に陥った時間を経て、
 思ったことは、
 父母は何を欲していたんだろう、ということです。
 自らを死に追いやったり、
 衝突から体を壊したり、
 傷つけあい続けたり。。。

 傍にいる時には近すぎて冷静に見られなかった二人を、
 カウンセラーとして、
 一人の社会人として振り返ると、
 彼らが当時の他の大人たちと比べて
 格別劣っていたとか、
 人間性が悪かったとかいうことでは
 決してなかった、
 ということです。

 家族を営むということは、
 生きるということは、
 楽というわけではありません。
 ただ、頑張れば成功する、を、
 変に解釈しなければ、
 父も母も他の日本人同様、
 頑張って生きてきて、
 立派に成功していました。

 そしてとても哀しいけれど、
 そのことに気づききれていなかった。
 得体のしれない“もっと上”を目指していました。
 自分は今のままでは不十分だ、とでも言うように。
 そして、現在や未来への不安を、
 互いの欠点の中に見出して、
 傷つけあい続けていた。。。

 この社会は、
 安全と衣食住が
 できるだけ多くの人々に行き渡るように
 作られてきました。
 だから、飢えたり、凍死したり、
 真夜中も雨に打たれたりせずに済むことは、
 誰もが共有できうるようになっています。

 もう少しだけ力を抜いて、
 自分で自分を認めること、
 互いに相手を認めることをできていれば…。
 そこまで考えて、すぐ、
 父母なりに精一杯生きたんだよな、と
 自分が死んだ彼らまでをコントロールしかけていることに気づいて、
 思考を取りやめ、
 ただ哀しいということに
 私自身の想いが戻っていきます。

 心理カウンセリングや精神医療、
 セラピーがようやく社会に根付きだしています。
 個人的には喜ばしいことだと思う反面、
 私のような経験を持たれた方々が少なからずいて、
 そうなっているのだとすると、
 微妙な気持ちにもなります。
 
 お読みいただきありがとうございました。