引きこもることの考察

中谷英貴です。

 8050から9060に移ろうとしている
 引きこもった人々と親御さんの関係。

 公的私的機関による対応が行われて久しいですが、
 減少する気配はありません。
 40歳を境に、それぞれ50万人以上。
 特に40歳以上は60万人を超えるというデータもあります。

 引きこもられている方について様々なことが語られています。
 だいたいはよくないことか、何とかしようということです。

 引きこもる方の内面には、
 きっかけはともかく、
 自分と他者・世の中とうまくつながることができない、
 そして認めるかどうかは別として、
 とことんまで自分を責める自責の念があると思います。

 社会的に指摘される問題は、
 引きこもる人々の行く末や、
 日本という共同体に対する労働の義務だと思います。

 私は引きこもりの人々がある意味で特別な人々には見えません。
 とても正直な人たちであるように思えるのです。

 社会と接しながら、引きこもっている人は多数います。
 心を閉ざした状態の人々のことです。
 最も心を閉ざしているのは、自分に対してですが。
 いわゆる“ホリック”状態の人々です。
 ホリックは、アルコールや仕事などの極端なもの以外に
 テレビや仕事以外での人との接し方など、
 様々あります。
 良い悪いの話ではなく、それぞれがそうやって
 自分の生き方のバランスを取ろうとしているわけです。

 自死される方は、
 過労死される方は、
 引きこもることができれば、
 死なずに済んだ可能性があります。

 秋葉原通り魔事件の犯人は、
 社会の評価におびえながら、
 親の価値観を背負って
 自らを追い込んでいき、
 最後はあのような事件を起こしてしまいました。
 決して許されるものではありませんが、
 許せない、で終わらせていいものでもないでしょう。

 某精神科医は、彼をして、引きこもっていれば
 あのような事件を起こすことはなかったと言います。

 引きこもりが正しい、というつもりは毛頭ありません。
 引きこもらずに、
 自分の人生を生き生きと生きられるなら、
 それにこしたことはない。
 ただ、引きこもりを
 今の労働環境におけるおかしな存在と捉えて、
 その意味するところを本質的に
 掘り下げていない議論があまりに多い気がします。
 
 私たちは、どこかに対人恐怖的な要素を有していて、
 だからこそ気づかいをしながら
 人と接している側面を持っている。
 そのバランスが極端に出た人たちが、
 引きこもりの方の中にいるという見方だってできると思います。

 私は心理カウンセラーですが、
 職業学とういか働き方についても研究を行っています。
 時代が変わり、
 社会が変わり、
 人への要請が変化していく中で現れた人々を、
 それは違う、で切って捨てるのは、
 自分の一部を切り離しているように思えてなりません。

 お読みいただきありがとうございました。