何も起こらなかった一日の幸福

中谷英貴です。

 今年こそは、
 今月こそは、
 今日こそは、
 そう思って意気込む何かがあるのは
 ある意味幸せだと思います。

 例えば、
 やりたい仕事を見つけよう、
 早起きして朝活して働き方を変えよう、
 △△の資格を取ろう、
 免許を取ろう、
 〇〇へ行ってみよう
 彼(彼女)を見つけよう
 結婚しよう
 外に出よう
 パートを見つけよう
 今の生活から脱しよう、
 …。

 実現のための方策を練り、
 課題をこなし、
 ある程度の期待も込めて、
 毎日を過ごすうち、
 1週間たち、一か月たち、半年がたち、
 何かが起こる気配すら感じられない。

 仕事が終わって家路につきながら、
 今日も何も得られなかった、
 今日も何も起こらなかった、
 これからも何かが起こりそうな気がしない、
 自分にはこれからを変える力があるとは思えない、
 そんな思いに打ちひしがれてしまう。

 いつからそんなに、
 魔法使いのように、
 コトを起こし、操り、結果を得られると
 思い込むようになったのでしょう。

 でも、、
 行き詰った日々の中では誰もがどこかで、
 何かを変えよう、
 何かを起こそう、
 そして自分の人生を変化させていこう、
 そう願って生きています。

 振り返ってみれば、
 少なくとも自分はそうでした。
 なかなか変化することはなかったけれど、
 その願いが発端となって、
 変わらない、変えられない、と日々悩み、
 試行錯誤しながら、
 空振りを繰り返し、
 やっぱり何も起こらないと嘆き、
 それでも続けているうち、
 それまでの人生が違う方向へ向けて
 ドンくさい私にぴったりのペースで
 ゆっくりと動き出しました。

 家族が壊れる直前まで、
 父も母もあがいていたように思います。
 最後は何に対して動いていたかもわからないくらい。。。
 あがくといっても、
 アップアップするという感じとは違ったけれど、
 二人それぞれなりに、
 祈り、願い、行きつくところに
 行くことになってしまった…。

 毎日が当たり前に続いて、
 当たり前のように生きていられて、
 当たり前のように体が動いて、
 当たり前のように機会をうかがって、
 自分で計画を立てて、
 大半が思ったようにいかなくても、
 またチャレンジすることができる。
 期待することだってできる。
 その発端はいつも手中にある。

 そして、日々は何事もなかったように過ぎていく。
 それがどれほどありがたいことか、
 時々身にしみて感じるのは歳のせいなのかな。

 明日もまた、そうやって新しいことを始めるために、
 新しい場所へ出かけます。
 変えようとするためではなく、
 すでに変化の最中にある時間を楽しむために。

 お読みいただきありがとうございました。