苦しんでいる私は幸せを知っている

中谷英貴です。

 一人で暮らし始めた後も、
 父母の互いの人格の罵りあい、
 凄まじい批判の応酬を
 見続けたこと、
 互いが息子である私を味方につけようとして、
 一緒になって相手を批判するように
 仕向けようとしていた過去の影響に、
 悩まされていました。

 人は家族の中で培った世界観で
 世の中と接することを考えれば、
 その影響が小さくなかったことは、
 不思議でも何でもないことは
 今ではよく理解できます。

 当時は、心理学の知識も、家族病理学のことも
 何も知らなかったので、
 自分が抱える困苦が
 そこに起因していることもまた
 理解していませんでした。
 残念ながら、
 その関係性を理解したからと言って、
 理解をして苦しんでいる自分が
 現れただけでした。

 無力感、
 感情鈍麻、
 侮蔑、
 憎悪、
 怖れ、
 そういった心理学用語で表現される、
 誰もが感じたくない感情が
 胸の内に渦巻き、
 自分の不幸を呪った時期がありました。

 あるとき、
 子供の頃のアルバムを見る機会がありました。
 それまでにも何度も見たはずだけど、
 その時、脳裏をよぎったのは別の感覚でした。

 なぜ、自分は不幸と感じているのだろう。
 そんな疑問です。
 不幸な状態が生まれてからずっと続いているのなら、
 それが常態なのだから、
 不幸なんて感じないはずだ、
 という疑問でした。

 もう一度アルバムに目を落とすと、
 お祭りに参加している子供の私の笑顔がありました。

 「あ、知っていたんだ」
 直感がそう伝えてきました。
 前回書いた言葉でいえば、
 そこに、少なくともその時の
 楽しかったり、
 気持ちよかったり、
 笑っていたり、
 そうした感覚に、嘘はなかった、
 ということです。

 世界が変わった瞬間でした。

 お読みいただきありがとうございました。