愛情や歓びを受け入れる心の土壌が育っているだろうか


中谷英貴です。

 癒し、楽しさ、感動。
 追い詰められて、
 行き詰って、
 生きづらさが募るほどに、
 忘れてしまいがちなこと。

 離散してしまった原家族の影を追ってばかりではいけないと、
 他界した親のことばかり考えてばかりではいけないと、
 うまくいかない職場の人間関係ばかり悩んでいてはいけないと、
 今一度、
 充実した楽しい時間、
 嬉しさで胸が満たされる時間、
 自分を大切にして得られる平安な時間、
 そういったものを求めようと思い立っても、、
 心がついていけない時が、私にはありました。

 その時の心の状態を
 どう表現すればいいのかと思いますが、
 一番適切な言葉は
 萎える
 という感じでしょうか。
 腰砕け、やっぱり駄目だ、否定的な諦念、
 そう言ったものが即座に心を覆って、
 踏み出した一歩をそこで固めてしまう。

 自分の心を満たしてくれそうな光が
 すぐその先で暗闇に吸い込まれてしまう感覚とも
 言えるかもしれない。

 無理だよ。
 どこかでそうつぶやく自分がいる。
 その元となる思い込みが
 長い年月の間に皮膚感覚に刷り込まれ、
 それがブレーキとなって
 動こうとする自分自身を
 その場にくぎ付けにしようとする。

 ブレーキを踏みながら必死にアクセルをも同時に踏み込んで、
 前に進もうとしていたんですね。
 大なり小なり、誰にでも起こりえることだけど、
 ブレーキの利きがいささか強すぎました。 

 ブレーキは、よく使われる例えですが、
 人から何かを与えられても
 何かをしてもらっても、
 良いはずのことが起こっていても、
 本当は楽しいはずの出来事があっても、
 それを受け入れてしまうと、
 その先にまた“同じような”
 断絶が、
 手のひら返しが、
 突き落としが、
 起こったら、
 今度は耐えられるとは到底思えない。
 そんな怖れにつながる感覚が、
 今この場所から、自分の魂を
 固定して離そうとしない。

 冷えて凍土のようにかちこちに固まってしまった
 自分の心の土壌を、
 いつかの時のように、
 養分をたっぷり含んだ豊饒な状態に
 してあげられない限り、
 現実はずっとこのままだ。

 そう感じて、
 自分がまず何をしたらよいかが、わかりました。

 意外なほど述べられていないことだけど、
 私たちが自分を信じて、
 新しい生き方、働き方、そして望む未来を
 実現していくためには、
 まず最初に
 愛情を受け入れる素地、
 感謝を感じる心の土壌、
 そういったものを耕していく必要があります。
 遠ざけていたり、嫌っていた自分自身と邂逅し、
 受け入れていくこととは
 心の土壌を育んでいくとと
 表裏一体のことです。  

 そして…。
 それができるのは自分自身だけ。
 ちょっとばかり時間はかかるけれど、
 その先にある満たされた幸福感と人生の実現のことを考えれば、
 時間をかける価値は十分すぎるほどあると思います。

 お読みいただきありがとうございました。