本心がレントゲンに写ればいいのに

中谷英貴です。

 レントゲンは、X線という
 とても短い波長域の電磁波を物体に照射して、
 その内部を観測する手法です。
 私たちが視認できる可視光領域より
 ずっと短い波長領域の電磁波(光も電磁波)で、
 それと反対側にあるのが赤外領域です。
 X線の波長の短さを利用して、
 物体に照射して内部を撮像することができるのですが
 ……長くなりそうなので以下略。

 レントゲンを始めてとったのが
 何歳くらいだったかは記憶にないけれど、
 被爆することだと知って
 ちょっと驚いたのは社会人になってからでした。
 原家族の混乱が日常生活に
 大きく影響していた頃のことで、
 そこまでリスク(?)があるなら、
 ついでに人の心の中も可視化してくれたら、
 と思って、
 それからやっぱりそれはとんでもない、
 と考え直したことを覚えています。
 当時、原家族の離散後の荒れ具合からして、
 それこそどんな不遜な感情が写し出されるかを想像して、
 自らのことなのに完全に引いてしまっていました。

 随分時がたって、
 原家族の問題をひとまずわきに置いて、
 これからを考えだした頃のこと。
 もっと自分が主人公の人生を
 しっかり歩んでいけるように、
 自分が何を感じ、
 どうしたいのかを振り返るべく、
 自分の内面を見つめる日々が続きました。
 そしてわかったこと、それは
 ……自分の本心がどうにも見えてこない。
 今にして思えば、それも仕方がなかったと思います。
 親の幸せを願いながら、
 崩れていく家族を見て、
 何もすることができず、
 自分を責めてばかりいた時間が長かったせいで、
 自分自身の要求をくみ取る“回路”が
 明らかに閉じてしまっていたのですから。

 その時、もう一度思いました。
 レントゲンで自分の本心を写すことができれば、
 これほど楽なことはないのに、と。
 自分自身のことなのに、
 肝心の自分が何もわかっていないなんて。。。

 結局、紆余曲折、心
 理カウンセリングの力を借りながら、
 日々自問自答を繰り返して
 じわじわと滲み出るように見えてきたのは、
 愛着の素のような世界でした。
 じわじわ、とは、
 きっと少しずつ機能する“回路”が
 再構築されてきた、ということなんでしょうね。

 本心がレントゲンで写ればいいのに。
 もちろん他の誰にも見られず。
 でも、きっとあの時の状態に自分が見たところで、
 にわかには信用しなかったような気もするな。

 だから、日々コツコツと自分を見つめて、
 見つけた自分を受け入れ続ける作業が必要なんでしょうね。

 お読みいただきありがとうございました。