自分を勇気づける癒し
中谷英貴です。
癒すとは自己肯定感を内在化すること。
なんだか正しいようで、でも何も言ってないに等しい気もする。
癒すことの大切さは、今はあちこちで語られています。
打ちのめされ、叩きのめされ、打ちひしがれ、自分の価値を見失い、自信を失い、生きる力を感じられなくなってしまっている人に、あなたは間違っていないよ、と伝えて、その人がそれ以上苦しまないようにする。
確かに、必要以上に苦しんで、心が歪んでしまうと、自分が納得するように生きようとしても、本来自分の中に存在しているはずの豊かさや優しさ、力強さがに気づくこと自体が難しくなってしまいます。怒りや哀しみの感情が強くなりすぎて生じる、感情麻痺の厚い地層に埋まってしまって、それらにたどり着くために大変な労力を要することになるからです。
そのためでしょうか。
癒しというものを、
「あなたは間違っていなかったんだよ」
「あなたは格好悪くなんてなかったんだよ」
「あなたは全力を出し切ったんだよ」
「あなたは何も悪くなかったんだよ」
「あなたがそうなってしまう原因は××のせいだったんだよ」
と、ただ柔らかく正当化するようなことが横行しているように感じられます。
それで癒されたと称する側に生じるのは、これからを生きていく勇気ではなく、当座の慰めと、同じ癒しが必要となる出来事の再発です。
本当に必要なこと、それは、
あなたは間違っているところがあったかもしれない、
あなたは格好悪いところがあったかもしれない、
あなたは中途半端だったかもしれない、
あなたは悪いところがあったかもしれない、
あなたの中に原因があったかもしれない、
つまり、自分の行いには反省するところがあったかもしれない、
…でも、それがその時のあなただったのだから、誰かに言い訳したり、誰かにペコペコするのではなく、そんな自分自身を、反省すべきところは反省して、正面から受け止め、受け入れよう、ということです。
そこには、おかしなところがあったかもしれない自分をひたすら包容する感覚と、反省して次に進もうとする感覚が共存しています。それこそが、どんな自分をも受け入れる、ということです。
これができるようになると、自分を『不本意に』飾らなくなります。
どんな自分も自分の一部として認められるようになっているからです。臨機応変、好きなように自分を出すことの心地よさを覚えるからです。
自分自身であることほど、エンパワーされる、勇気が与えられることはありません。
癒すとは、本来そういうことではないでしょうか。
お読みいただきありがとうございました。