苦しんでいるあなたが守っているものは何?

中谷英貴です。

 傷ついて苦しんでいる自分を見放すことなく、何とかしようともがいている人は少なくありません。実際、それは大切な姿勢で、誰もが一度は通る道であり、その人なりに何とかする方法を見出して、自分を解き放つことで、多くの人が人生を切り開いていっています。

 繰り返しになりますが、もう一度。
 傷ついて苦しんでいる自分を見放すことなく、一生懸命守ろうとしている人がいます。かつての私もそうだったし、今もまた多くの人がそうしている。
 守ろうとするような状況になっているとき、その人の心は追い詰められ、どこからかの何かの攻撃に耐え、必死になって自分はおかしくないことを主張し、押し寄せてくる軋轢に負けないように必死に戦っている。
 この時の気持ち、よくわかります。
 痛いほど……。

 そんな方々に確認していただきたいことがあります。
 本来守るべきものと、解き放つべきものを取り違えてしまっていたりしないでしょうか。守ろうとする状況になった時、かつて傷ついた場所と時代に自分の心が舞い戻って、その時に傷ついている自分を必死になって守ろうとしている、実は、そんなことになっていたりしませんか、ということです。

 一歩引いて傍から見ると、その立ち居振る舞いは、今、傷つくことになってしまう状況を守ってしまっているように見えます。自分の意志に反して、守っているのは傷ついた自分ではないのです。

 何がおかしいか、というと、かつての傷ついた自分に寄り添い、認めてあげられる自分自身の力が不十分なまま、外部に自分のこの状態を理解しろ、と訴えていることです。
 そんなことやってない?
 いえいえ、守っている時、自分は正しい、と言っていませんか?
 そんなとき、実際の外部への働きかけは、怒りや憎しみ、少なくとも憤りを含んだものになりがちで、そういった態度をぶつけられた側からすると、あまりに不本意な反論、逆切れ、切り返しと感じざるをえなかったりするものです。結局、それが本来の目的と正反対の状況を生み出してしまってもいます。
 これは言い方を変えるなら、、自分以外の誰かにわかってもらおうとしてばかりで、肝心の自分自身がわかってあげられていない、ということです。
 理不尽な過去を一番知っているのは自分です。だから、傷ついて今も引きずっている自分を一番わかってあげられるのも、また自分です。変だと解釈される振る舞いだって、自分からすればそれなりの理由があったはず。それを一番理解できるのは、自分でしかありえません。

 解決策は、あらゆる自分を受け入れること、これに尽きます。
 受け入れるとは、自分に起こったこと、自分が感じたことを、歪めることなく受け止めること。そしてその時哀しみを感じた自分に寄り添い、いつも一緒にいると誓うこと。その時とった行動のうち間違っていたことは反省し、一方で精一杯生きていたことを認めてあげること。
 これが傷ついた自分を守る、ということ。
 これを“繰り返し”、何度も行っていくうちに、自分の中に自分をわかってあげられる、認めてあげられる自分がしっかりと育っていきます。これまで欲しくても存在しなかった親のようなものです。
 その時には、もう他の誰かにわかってほしい、という切実な感情は小さくなっていきます。必然、傷つくことになってしまう状況を大切に守る、などということはなくなります。

 守るものを間違えないようにしましょう。

 お読みいただきありがとうございました。