束縛の中の成長を

中谷英貴です。

 私たちが生きる社会は、常識、ルール、不文律、慣習など、多くの決まりごとに基づいて動いています。明文化されている法律などを除けば、ばらつきはあるものの、それでもなんとなく、『こういうものだ』という思い込みを含めて、誰もが共有する決め事があるという前提にたって運営されている。

 しかし現実には、少なくない数の人が、それらが守られない体験をしているが故に、疑心暗鬼になったり、人との距離の取り方に迷ったり、生きづらさを感じたりしています。職場を主とした人の関係の行き詰まりや息苦しさ、衝突や逸脱行為は、その場で突然生じることもなくはないでしょうが、多くは子供時代の家庭環境に遠因を見出すことができます。

 飲んだくれの父親は、コメディ漫画では笑いをとるツールにすぎませんが、お金は入れない、殴る、蹴る、罵声を浴びせる、嘘をつく、ひどいときには性的搾取まで行う、などということになると、そこで育つ子供は何を信用して生きるか、その基準が明らかに歪んでしまいます。そして、世の中の決まり事を守ることが馬鹿らしく感じるようになります。決まりごとが不気味な束縛となって、強制性の刃を自分に突き付けてくるように感じるからです。自分がアイデンティティを確立し、愛着を醸成した場所で守られていなかったようなことを、大人になってから「守れ」と言われても、守ることで訪れた哀しい体験が行動を妨げてしまいます。
 上記は、アルコール依存症の父親という設定で話をしたけれど、親が一定程度以上に歪んでいることで生じるこれらの歪みは、明らかに子供が社会に出てからの生きづらさの原因となるものです。

 ここまでは家庭環境によってもたらされた生きづらさの話です。
 さて、そうやって突き当たった生きづらさ。
 どうしたらいいでしょう。
 守らない?
 守れない?
 そうなるでしょうか。
 すると、残念だけれども、結局自分が追いつめられる。
 なぜ、と思いますよね。
 そして、こう思っているかもしれません。
 だって与えられなかったんだ、と。

 確かに、そこまでは、正しいかもしれない。
 親には親の都合があったかもしれないし、実はあなた自身の思い込みかもしれない、あるいは本当にどうしようもない人たちだったのかもしれない。
 だから、その是非は問わない。

 しかし、それを理由に、守らない、を実践すると、自分がしっぺ返しを食らいます。

 失ったもの、不足するもの、取り返したいもの、求めるもの、それによって生きづらさを、行き詰まりを感じるなら、それをその昔与えてくれるべきだったところに要求しても意味のないことなんです。
 大人になったあなたが、自分の中から湧き出るようにしていきましょう。
 自分自身と出会い、特に遠ざけていた自分を受け入れ続けましょう。
 そうするうち、自分の歪みが自分の貴重な時間を浪費していることに気づきます。自分を思い切り貶め、虐めていることに気づきます。

 そして、守らない、守りたくない、と言っていたある種の束縛が、独り立ちした自分を守ってくれていることに気づきます。人との接し方、物事の受け止め方、世の中の見方、それらが少しずつ変わっていき始めます。
 束縛が成長をもたらしてくれるのです。
 そのとき、束縛は求めてやまなかったものを、与えてくれていることを知るようになるのではないでしょうか。
 
 お読みいただき、ありがとうございました。