現実は変わるのか
中谷英貴です。
『年年歳歳花相似たり 歳歳年年人同じからず』
毎年同じように花は咲くけれど、人もその周囲も年を経るごとに変化していく。そういう意味の禅の言葉です。
自然は変わらないけれど、人の世は変わっていく。
付け加えるなら、人自身もまた変わっていきます。
現実を変えたいという人は少なくありません。
では、現実が変わるとは、どういうことでしょうか。
そもそも、現実は変わるのでしょうか。
例えば、いきなり目の前で、机がウニョウニョッと歪みだして、小型車に変わって動き出すとか。なんかありえないですね。
突然、赤信号が進めで、青信号が止まれになるとか。とても危ないですね。
自分の勘違いが発覚して、次の瞬間、私は大金持ちでした、とか、有名人でした、とか、大好きな仕事してます、となるのでしょうか。
そうなるといいけれど、それこそ“現実的”ではない気がします。
こう考えてくると、変えたい現実って何?、ということになります。
仕事上にせよ、友人間にせよ、家族にせよ、一緒の時間があるにもかかわらず、コミュニケーションをとることが苦痛な人間関係でしょうか。
それとも、低い収入や長い労働時間でしょうか。
あるいは仕事の内容そのもの?
…家事育児?
来談者中心療法で有名な米国の臨床心理学者の故カールロジャース氏は、「現実とは幻想のことである。人の心の中にあるものこそが現実である」と言っています。
その人にとっての現実とは幻想のことだそうです。
幻想、言い換えれば、妄想、白昼夢、思い込み。
現実は一つのはずですが、現実が幻想のことであれば、人の数だけ現実があるのもうなずけます。人の数だけ正義がある、というのもそういうことですよね。
だとすれば…。
現実は変わります。というより変えることができます。
なぜなら、ここで言う変えたい現実とは、私たちの中にある、ものの見方、考え方、感じ方のことだから。
自分が変わる、というのもそういうことです。
何より、その他者にとっては意味不明かもしれない、自分にとっての現実という妄想とも思い込みともいうものを持っていて苦しいのなら、自分を変える方が建設的だし、実は早い。
それをしたくないというなら、変わりたくない『何か』を頑なに守っている、ということではないでしょうか。
そうだとすると、少し長い旅が必要になるかもしれません。
お読みいただき、ありがとうございました。