疎遠社会の死

中谷英貴です。

 自死した父とはそれまで10年近く会っていませんでした。
家を出る頃からずっと彼のことを敬遠していたし、父もまたそれをうっすらと感じ取っていたようです。
 葬儀の場では涙が出なかったけれど、哀しくなかったわけではありません。そういった類の感情が当時は麻痺していました。
 いかなる理由があれ、肉親を、特に自分の親を遠ざけようとする情動は、そこにやり場のない怒りとか哀しみをできるだけ感じないようにして生きるという選択の結果で、急にその選択を反故にすることができなかったのだと思います。

 それがある時、自死に追い込まれるほど苦しんだ父の絶望と、過去の感情に捉われて助けるために動くことが何一つできなかった自分の幼稚さと身勝手さ、そしてそれまで選択を避けていた在りし日の思い出の部分が一度に胸に去来し、気が付くと文字通りぼろぼろと大粒の涙を流していました。人前で泣くことは何とか避けられたのですが、しばらくの間、泣き通しの夜が続きました。

 父の自死は原家族が崩れて苦しんだこととともに、心理カウンセリング、アドバイジングを学ぶ大きなモチベーションとなりましたが、同時に、当時の父や、あるいは自分のように肉親の自死を経験した家族のサポートには、心理カウンセリングの知識に加えて、ある種の死生観と、社会の中で変化してきた家族個々の関係性への洞察が欠かせないことを身に染みて感じるときがあります。家族の位置づけも、関係性も、平成の30年の間に本当に大きく変わってきたと思うからです。
 洞察と言ってももちろん、偉そうなことを語れるほど万人が納得する話ができるわけではありません。しかし、心のサポートは、サポート受ける方々の社会における位置づけ(と当人が思い込んでいるもの)との関係性の溝を、サポートする側がタイムリーに認識する必要があるのは事実です。

 肉親の死に、多くの人が心を痛めます。
 穏やかに長寿を全うして逝かれた親に対しても、生きていてくれるなら生きていてほしいと思うのは、人に共通する感情だと思います。
 最初に書いた通り、私のように一度は疎遠になった親であってもやはり、過去を公平に扱えるようになった後では、もっと生きていてほしかった、一緒の時間を過ごしたかったと感じるようになったものです。今もまだ折に触れてそう思うときがあります。
 カウンセリングで知り合った知人のお父さんは、離婚して家を出た後、結婚した息子さんやお孫さんとお会いする以外は家にこもりがちで、最後は孤独死されたそうです。
 他にも、心理カウンセリングを学ぶ一環で、メンタルクリニックのミーティングに出たり患者さんらのお話を伺う機会を得て、疎遠になったまま親を失っている方が多いことを知りました。
 その中には、自死を選択しないまでも、自身の世話をしないまま体を弱らせていき、半ば自死同然の亡くなり方をされる方もずいぶんおられるようです。菅野久美子さん著『家族遺棄社会』(角川新書)にはそんな事例がいくつも掲載されています。

 今の自分にできることは、縁あって相談を受けたり、知り合った方々に、前述の現状と、関係性を保つことの意味やヒントのようなものをお話しさせていただいたり、社会の評価や世間の目に流されずに生きることでいくらでも人生は変えられるということを、自身の経験と父のことを忘れずに発信していくことだと思っています。

 お読みいただきありがとうございました。