変化はゆっくりと、そして確実に。

中谷英貴です。

 コロナは収まらないけれど、動き出す人が増えてきましたね。
 街、電車、スーパーマーケット、レストラン、公園。
 一時的かどうかはともかく、自粛による最低の状況から脱しようとしているということでしょう。その中には、形を変えて動きだしたこともあれば、これまでと同じ状態のものもある。本当は変化した方がよいにもかかわらず、旧態依然のままのものもある。

 社会の在り方、仕事、人と人との接し方から家庭環境まで、コロナ前に戻ることはない、と言われます。ワクチンが開発され、コロナがインフルエンザ同等のレベルになってもそうなのか、私にはわかりません。
 ただ、そうなるまでに私たちが経験するはずの個人や社会の変化は、確実にこれまでになかったり、実践を躊躇していたことが、新しい現実として根付いていくことになると思います。
 例えば、働き方改革はその一環です。ネットワーク環境が整えば、在宅やノマドオフィス業務が当たり前になり、余分な通勤時間が減る、場所や時間の自由度が高まる、その代わり通勤での歩行がなくなって太る、仕事環境と私生活を同じ空間で両立する必要があるなど、ここは考えればいくらでも課題があり、これまで真剣に検討がなされたとはいえない部分で、新しいビジネスチャンスにもなるところですね。

 いずれにせよ、個人も組織も共同体も、その延長である社会も国も、これからの環境にあわせて変化を求められていますが、こんな重要なことがあっても、なかなか変化しきれないのも事実です。完全には元に戻れないのはわかっていても、当座の生活を守るためにはそうせざるを得ない。こういうのもホメオスタシスというのでしょうか。

 かつて、家族のこと、親のことで苦しんだ日々に、なぜ自分がそこまで苦しんでいるのかのメカニズムを理解した後も、私はなかなかその世界から抜け出すことができませんでした。頭でわかっていることと、意識、感情の変化が根付いて行動に変化が起こることの間には多大なるギャップがあって、後者の変化こそがその原動力になるからです。
 幸運だったのは、変化が訪れない状況が続く中で、専門家や仲間や知恵や偶然の環境に恵まれて、自分の変化をあきらめなかったことだと思います。
 そうやって時を過ごすうち、生活の中にきっかけが生じ、徐々に、しかし確かな変化が私の心と体、そして日常に起こり始めました。今の私自身が少なくともあの当時より格段に納得する日々をおくるようになるまでには、幾ばくかの時間が必要だったというわけです。

 「すぐ変わるよ」
 「一瞬だから」
 ほんとに多くの場所で、そう言われます。
 でも、きっかけは一瞬かもしれないけど、それに気づくまでの感覚の醸成、そしてやっぱり変化そのものは時間がかかる、それが現実だと思います。
 だって、そのくらい、それまでの世界を深く信じ、生きてきて、その世界が崩れた中で、自分を立て直そうとしてきたのでしょう?
 亀裂骨折とか胃潰瘍とかそんなレベルとは異なる、満身創痍の状態からの恢復の道のり何ですから。

 コロナによる社会の変化も、私たち個人の悩みからの脱却も、すぐ明確に変化が見えるようになるわけではないと思います。
 それはおかしなことではないし、根源的なパラダイムが、そんなにコロコロと簡単に変化するものではないと思いませんか。

 大切なことの変化は、ゆっくりと、確実に。
 焦らず行きましょう。

 お読みいただきありがとうございました。