再びの一歩

中谷英貴です。

自ら、コトを起こしていこう。
パッとしない今の人生を変えようと、そう自分に言い聞かせて、何だかわからないけれど努力を続けてきた。
そういう方、どのくらいおられるでしょうか。

情熱だ、気合いだ、夢だ、成功だ、お金だ、豊かな暮らしだ。
そのためには、自分から動いていくんだ。
これが心の底から疑いなく湧き上がって、コトを起こすモチベーションとなるなら、素晴らしいことだと思います。
今までなんとなく生きてきて、その生き方に納得できなくて、思い立ってもっと積極的に人生にかかわっていこうと動き出した、ということですよね。

時に、それがうまくいかない人がいます。
前に進もう、変化しよう、それが今の自分に必要なことだ、と自分に言い聞かせて動こうとするのだけど、なぜかどうにも一歩が踏み出せない。
以前の私もその一人でした。
原家族の様々な問題に絡めとられながら、何をすることもできずに、ただ気持ちだけが空回りし、気が付くと一日が終わっていた、ということの繰り返し。

 意識無意識を問わず、自分を蔑んでいたり、弱さに辟易していたり、何かに劣っていることが情けないと思いこんでいると、新しい世界へ入っていくことが困難になります。最初からあきらめの気持ちと、「やっぱり何をやってもダメなんだ」という“別の場所から来た感情”が、強烈で猛烈に一歩を踏み出すことを、あるいは踏み入れた世界を批判するのです。かつての凄まじい否定の経験が頭ではなく、体の感覚としてよみがえり、うまくいかない自分を体現してしまう。

 こんなとき、気合とか、情熱とか、成功を追い求める夢とかをドライブパワーにしようとしても、前に進むことはありません。空中に浮いてかけっこしているというか、以前にも書きましたがハツカネズミが回転車の中をくるくると走り続けているようなもので、投入した気力は全く推進力にならないのです。

 “別の場所から来た感情”を見つけて対処する必要があるのですが、そのためには、自分を貶めることをやめるところから始めることです。
 自分を貶めているということは、そこに貶める自分がいるということで、その自分と会い、慈しみ、今までそこにいてくれたことに感謝し、これからは一緒に生きるんだ、と真摯に伝え、今の自分と一体化することから始める必要があります。

 貶められていた自分がそれを信じられるようになった頃、再びの一歩は、気が付いたら自然に踏み出しています。
 変化の始まりです。
 いえ、始まっていた変化を、初めて感じるときです。

 お読みいただきありがとうございました。