私たちが納得して生きるための魂

中谷英貴です。

 父母と暮らしていた頃、魂という言葉が日常会話で出たことはありませんでした。祖父母の世代ならともかく、現代社会で暮らす上ではあまり身近な言葉ではないのかもしれません。
 そのせいか、精神医療とか臨床心理の世界を知るまで、魂という言葉は、テレビドラマに出てくるどこか浮ついたもの、あるいは宗教的で危険なもの、漠然とそう思っていました。

 WHO(世界保健機構)では、1948年に健康の定義を以下のように定めています。
『健康とは、身体的、精神的、社会的に完全に良好な状態であり、単に病気がないとか虚弱でないということではない』

 さてここに、魂(spirit)という言葉が組み込まれようとしていました。1998年のことです。正確には、spiritual(霊的)とdynamic(動的)を新しい健康の定義として加えようとしていたということです。
 結局、時期尚早として見送られましたが、事程左様に私たち(単に日本人というだけでなく、先進社会全体)が、健康に、充実して、生きるために、どこかで不明を感じているのだと思います。

 英語でspiritualなので、いわゆる肉体の対語としての魂(soul)ではなく、全体性、超越性としての魂を意味するわけで、使う場所や使い方を間違えると、話がとんでもない方向へ行きかねませんね(笑)。

 生きづらさ、行き詰まり感を感じるとき、私は自分だけで何とかしようとあがいている自分を脱出して、このspiritualという言葉に含まれる、もっと大きな流れに身をゆだねることを実践することにしています。

 気合も意志も正論も時に大切ですが、誰もが持っているはずの、弱さとか醜さとか独善性と向き合えていないことに気づくことができずに、自分の限界を自ら縮めてしまう生き方の無理から逃れたかったかもしれません。

 そうやって、少し生きる道のりを修正しているうち、自ら他界の道を選択した父や、半ば壊れかけていた母のことを、哀しさとは別の次元で受け止められるようになった気がします。

お読みいただきありがとうございました。