自分の見え方を自分で気にしてもあてにはならないけど…

中谷英貴です。

 若い頃は他者の目が特に気になって、
 どう思われているのかを推測して行動することがあったな
 と思います。
 …と書き出して、
 いやいや、今だってそうかなと思いなおしました。
 …と書いてみて、
 ちょっと待った、それって自分だけじゃないよな、
 とさらに思いなおし、
 結局、今も昔も、自分も他人も、、
 どこかで人の目を気にしながら生きているのだろうな
 と考え直しました。 

 それが悪いわけでは、もちろんない。

 対人恐怖という言葉は、英語でもそのまま使用される
 日本固有のメンタル疾患のように扱われていますが、
 私たちは日常的に小さな対人恐怖を抱えながら生きていて、
 だからこそそれなりに気も使うし、
 人と人の間の衝突を回避することもできている。

 ただ、あまりに人の目が気になり過ぎて、
 日常生活に支障をきたすようであれば、
 それはそれで問題で、
 そんな時に思い返したいこと。
 それは、自分が認識する自分と
 他者が認識する自分とは
 全く異なっているということ。

 親の世代と比べて、というか時代を経るにつれ、
 画一的だった生活や人生の価値基準は多様化しましたが、
 その分、確実な心の拠り所も他の何かではなく
 自分の中に見出す時代になってきました。

 そんな中、父母の話(というか愚痴)を思い返しても、
 カウンセリングをしてみても、
 あるいはこれまでの様々な人との話を思い出しても、
 1つだけ確実なことは、
 必要以上に人の目を気にしないで生きることがとても大切で、
 そしてとても難しいということです。

 人の目というより、
 何かの刺激を受けた時に、
 そこから推測、妄想してしまう
 世間の目とか評価なのでしょうね。

 人の目を気にしない、
 言い換えれば、
 仕事で叱られても、
 評価が下がっても、
 極端に言えば職を失っても、
 自分自身と周囲の大切な人々と仲良くしながら、
 見栄を張ることなく
 何とか食べていければ、
 本当はそれでいいような気もするのですが、
 なかなかそこまで達観はできないんですよね……。

 お読みいただきありがとうございました。