仲間を作ること

中谷英貴です。

 年齢を重ねるにつれて、
 子供の頃や学生の頃にはいた友達の数が
 減っていく人が多いと思います。

 父を振り返っても、
 若い頃は我が家に父の友人の
 おじさんたち(と言っても今の私よりも若いですが)が
 遊びに来て、
 一緒に行った釣りの話や、
 野球の話をしてワイワイやっていましたが、
 少しずつその回数が減り、
 ある頃からは訪れる人がいなくなりましたし、
 外でもそういった付き合いをしていないように
 見えました。

 おそらく、全員がそうというわけではないでしょうし、
 それが悪いというつもりもないのですが、
 今自分がそういった父と同じような年齢になって、
 ひしひしと感じるのは、
 仕事とは関係ないところでの
 人との関係があることのありがたさのようなものです。

 コミュニティ。
 共同体と訳しますが、
 もっとライトに同好会でもいいかもしれません。

 若い頃、なんとなくつながっていた人たちを友人とすると、
 自分が興味のあること、
 ちょっとやる必要があること、
 そんなことで出向いた先で知り合った大人同士の関係は、
 意外に長く続いたりします。
 俺たちは一心同体の大親友だ、というのはありませんが、
 なぜか落ち着く関係というのでしょうか。
 そこにいるのは、私が仲間と呼ぶ人たちです。

 晩年の父は当時、
 まだ少年の域を出ていなかった私にとって
 お世辞にも付き合いやすい存在ではありませんでした。
 それでも時折、老いの陰に孤独が見え隠れしていました。
 興味も好きもコミュニティも、
 自分が自分とつながり続ける中で
 それらを求める感情がにじみ出てきます。 

 父は自分とつながろうとすることもなく、
 うまくいかない家庭と自分の存在とを
 どこかで責め続けていたのかと思うと、
 そして、つながりを求めていたからこそ、
 苦しんだであろう父のことを思うと、
 とても哀しいです。
 
 そんな状態で家族を養ってくれた父は
 私が自分とつながり、仲間の中にいることを
 どこかで喜んでみていてくれるかなと
 思うときがあります。 

 お読みいただきありがとうございました。