ある日の鏡の中にあらわれた疲弊した能面面

中谷英貴です。

 原家族の混乱の真っただ中にいて、
 自分のペースを取り戻すずっと前のことでした。
 まだ20代の半ばくらいの頃ですね。
 そんな状態の時でも、
 出かけざるを得ないときには鏡を見るくらいのことは
 何とかしていました。

 四角いフレームの中に覗いたのは、
 哀しさとも怒りとも卑屈ともつかない色が、
 無表情を象る細胞の隙間から滲み出た、
 理想のイメージとかけ離れた自分の顔でした。
 一目でそれとわかる、
 その若さより半世紀は歳をとってしまったような肌つやと、
 いわゆる典型的な能面が張り付いた、
 というやつでしょうか。

 それに気づいてから、
 電車がトンネルを通過する際に窓に映ったり、
 ショーウインドウに映る自分の顔が
 気になるようになりました。
 百人並みの何の変哲も顔ではありますが、
 さすがに何十年も老けて見えるのが錯覚ではないとわかったとき
 とても怖くなりました。

 自分に何が起こっているんだろう。
 20代の若さで、体力もあるはずの人間が、
 そこまでひどく見えてしまうなんで。

 勤め先は、ブラックとは程遠く、
 そもそも不良社員に近かった自分が
 仕事でそこまで疲弊するはずもない。

 その当時から直感ではわかっていました。
 自分を“おおもと”から偽って生きているからだと。
 仕事の選択や働き方、そして家族の問題にからめとられて
 自分の望みを追及するエネルギーが消えてしまっている。

 その解決こそが、自分だけでなく、
 大切な人々のためにも
 力を傾けなければいけないことなのだ、

 父も母も妹も、かつては一緒に生きていた誰もが
 自分を見失い、混乱していました。
 私が重い腰を上げたのはそんな最中のことでした。

 お読みいただきありがとうございました。