ほんとはすでに幸せかもしれない?

中谷英貴です。

 自分の受け入れが進み、
 今の自分で良い、と
 自然体で感じられるようになると、
 混乱や迷いの中から、
 自分のやりたいこと、
 自分が目指すこと
 自分の望み
 そういったものが見えるようになってきます。

 すると、続いて、
 そこに至るまでの道のりの長さや、
 意外なほどの望みの大きさや、
 求める質の高さなどに、
 ホントにできるのかな、
 自分には無理なのでは、
 と感じるようになり、
 それでも、ゴールに向けて、
 思考を巡らすようになります。

 具体的に、
 ゴールに至るまでの計画を立て、
 足りないものを確認し、
 習得すべきものを洗い出し、
 人に任せることを決め、
 進むであろう過程を想像し、
 やっぱりこれは無理なのかな、
 それとも何とかなることなのかな、
 そんなことを思い、悩み、
 その間にまた試行錯誤を繰り返す。

 そうやって進めた先に、
 人から見たら
 大したことじゃなかったり、
 当たり前のことだったり、
 したとしても、
 自分が望む素敵なことが待っていて
 自分が気持ちよくなる可能性があって…。

 それがいつ実現するのか、
 あるいはしないのかはわかりません。
 ただ、言えることは、
 求めているものがわかっているということは、
 それを求めようとしているということは、
 実は既に幸せなのでは、ないでしょうか。
 
 もし仮に、
 今が不幸だと感じてるということは、
 実は既に幸せを感じたことがあるのでは、ないでしょうか。
 だって、
 幸せ(快)を感じたこともなくて
 不幸(不快)はわからないと思う。

 私にはまだ、
 求めているものが何かわからないという人。
 それがすでに、あなたの中に眠っています。

 今抱えている、
 腹立ち、無力感、絶望感、行き詰まり感…
 そんなあなた自身のさらに奥に、
 求めているものがあるのではないでしょうか。

 自分を受け入れるとは、
 そんなあなた自身を自分そのものとして
 大切にすることです。
 
 最初に書いたとおり、
 そうやって自分の受け入れが進むと、
 奥にあるもの、
 つまり求めることがきっと、
 感じられるようになります。
 
 お読みいただきありがとうございました。