触れ合うコミュニケーションの大切さ

中谷英貴です。

 言語による意思疎通。
 いつ頃から始まったのか考えてみたことがあります。
 人は、日本人は、いつ頃から言葉を使って
 互いの想いを通じ合わせていたのかな、
 というのが発端でした。
 
 悶々とした末の結論は、
 いつ頃からというのは、
 実は明確な意味で線引きできない
 ということでした。

 文字を書くのは人間に特有かもしれない。
 でも、意思疎通としての言語は、
 イルカやサルやワンコなど、
 様々な動物たちについての研究結果が示すように、
 常に存在していました。

 例えば身近なペットであるワンコ。
 仲のいい2匹のワンコは、
 一緒に手をつないで歩いたり、
 肩を組んで杯を酌み交わしたり、
 もちろんハイタッチをしたりしません。
 そういうワンコがいてくれたら、
 それはそれで楽しそうだけど。
 (個人的には一緒に一杯やりたい…
 いえ、やってませんよ。。。)

 そのかわりに、
 互いにしっぽを振りあったり、
 じゃれあいながらかみ合う真似をして、
 敵意がないことを示したりしながら
 コミュニケーションをとります。

 イルカの超音波でのコミュニケーション、
 サルの毛づくろいなど
 音声以外のコミュニケーションの方法は
 生き物によって様々です。

 触れ合うコミュニケーションとは、
 必ずしも、
 体に触れるという意味ばかりではありません。
 笑顔を見せたり、
 わかりやすく伝えるために身振り手振りを使ったり、
 困っている人に手を差し伸べたり、
 そういったこともまたコミュニケーションです。
 口調という言葉があるように、
 意味を伝えるのは決して言語だけではなく、
 その周りに付随するノンバーバルなこと
 イントネーションや顔の表情、視線、体の向きなどが
 大きな意味を持ちます。

 それらはおそらく、
 私たち人間にしかできない、
 そして人間が欲して生まれた
 互いの意思疎通の方法です。

 相手に微笑みかけたり、
 人を助けたり、
 丁寧に対応するのは、
 卑屈になって、とか、
 受けがいいから、とか、
 格好よく見えるから、とか、
 気を引くために、とか
 ではないんです。

 『自分を大切にする』ほどに、
 自然に湧き上がってくる、
 他者の存在の大切さ、
 人の中で生きていることの有難さ、嬉しさ、
 自分と異なる体格や考え方の人々の必要性、
 そして人を受け入れることは、
 実は自分の存在を許容することそのものであるということ、
 そういったことが身にしみて感じられ、
 必然的にそうしたくなるものです。

 触れ合うコミュニケーションの大切さ。
 触れ合うの意味。
 追い込まれたり、行き詰った時ほど、
 思い出してみてください。
 
 自分を大切にすることとは、
 意思疎通のの在り方、触れ合い方を
 大切にすることでもあると思います。
 
 お読みいただきありがとうございました。