体を大切に

中谷英貴です。

 『体を大切に』
 まるで何かの標語か時節柄のあいさつみたいですが、文字通りの意味です。

 体は生きていく私たちの魂を乗せた船です。誰もがわかっているはずですが、おろそかに扱っている人もまた少なくありません。

 体は、しょっちゅう八つ当たりされています。

 腹が立つと、恨みが募ると、嫉妬すると、苛立つと、無力を感じると、無気力になると、落ち込むと、絶望すると、自分を嫌うと、浮ついて生きると、
 バランスの良い食事を忘れ、
 満腹中枢の壊れた生物のように食べ物を詰め込んだり、
 時には一度食べたものを吐き出すことを繰り返したり、
 反対に、ほとんど栄養を取らずに寝込んでいたり、
 憂さ晴らしか感情をマヒさせるためにアルコールを過剰に摂取したり、ひどいときには意識が消えるまで飲み続けたり、
 睡眠時間を継続的に削ってしまったり
 信頼できる人から触れてもらったり、自ら触れたりすることを避けたり、
 ほどほどに体を動かす運動をしなかったり、
 働けるのに働かなかったり、
 反対に必要がないのに夜も昼もなく狂ったように働き続けたり…
 
 そういった間も、私たちの体はひたすら、生きようとしてくれます。
 死にたいと思おうが、摂食障害に陥ろうが、事故で大けがをしようが、虐待の影響で手足を傷つけ続けようが、焼きを入れようが、体はそんな行為に対して、どこかの誰かのように「お前のせいだ」、と文句一つ言うことなく、何をされてもひたすら生き続けようとします。

 お恥ずかしい話ですが、社会人になりたての頃、ずいぶん暴飲暴食に走った時期がありました。そうしていないと当時の混乱とそこから襲ってくる猛烈な不安に耐えることができませんでした。運動も体調と相談するのではなく、38度の熱が出ようが、二日酔いで吐いていようが関係なく、ジョギング、ダッシュ、スクワットや腹筋など、まるでそれ自体が目的であるようにこなしていました。必然、しばらく動けなくなり、倒れるように寝込んで会社を休むなどということを繰り返していました。
 その頃からすると、今は嘘のように体の調子がいい。

 繰り返しますが、体は生き物です。
 当たり前のことなんだけど、わかっていない私たち。
 手足がマヒし、脳がマヒしてさえ、生きようとしてくれる。胃の大部分が削除されても、消化吸収する機能は残る。
 生きるための様々な仕組みを幾重にも長い年月の間に構築し、私たちを守ってくれている。

 たった一つの親から与えられた体。心が弱って消えたいと思っても、しっかり生き続けてくれる体。

 自ら世を去った父も、一人になってまともに食事も作らなくなり、体をぞんざいに扱って弱っていった母も、彼らなりの理由があったと思いたい。
 でも、私は彼らから与えられた、常に一緒に生きてくれる自身の体を大切に扱っていこうと思います。

 お読みいただき、ありがとうございました。