全て自分が選択した

 中谷英貴です。

 朝起きてから、夜寝るまで、どうにも嫌なことが目白押しだとします。

 起きると病気でもないのに、いつも頭が重い。
 会社に行きたくない。人と会いたくない。
 通勤電車では、毎回誰かと小競り合いになる。
 会社では、どうにも嫌な上司にいつも虐められ、仕事の内容は訳も分からず、給料をもらうためだけに通っている。やりがいを探せ、と言ってもそんな気力もない。
 一日働いて体はへとへとになり、心は動かなくなり、自分の人生こうやって生きるしかないんだ、と投げやりになって、夜はお酒に走ったりする。

 そういうことが毎日続くと、つい、こう思ってしまいます。
 自分の人生、嫌なことだらけだ、と。
 繰り返しこんなことが続くのは、自分の心に刷り込まれた過去に原因があるからだ、と。

 そして、過去に遡って、今の不快につながる“証拠”を探し始め、思い当たる数々の原因を見つけて、こう思うようになります。
 自分は「不幸で」「ひどい」環境で生きてきた、と。
 『だから』いつもいつも嫌なことばかりの人生になるんだ、と。
 
 一度このロジックを組んでしまうと、今度は、いつもいつも嫌なことばかりの原因となる過去を洗い出しては、今が嫌な理由を強化・正当化するようになります。
 例えば、親の争いや養育方法、当人たちの不幸を体現するような生き方、お金や異性へのだらしなさ、お酒や薬やギャンブルへののめりこみ。
 そのために、受け取ってしかるべき愛情を受け取れなかったどころか、自分が彼らのメンタルの面倒を見続けてさえきたんだぞ、と。

 ここで、ある種の過去の捏造が始まります。

 「事実としてあったんだ!」
 そうだと思います。事実としてあったんだと思います。
 ほんとにつらかったと思う。胸を痛めたと思う。悔しかったと思う。 
 それをあえて、捏造と呼ぶのは、その重みづけと、それを今、動けない理由にしてしまっているためです。
 これこそ、最大の捏造です。
 今こうなっているのは、認めたくないかもしれないけれど、自分が選択したことです。

 原因とかいう過去を、今に固定して、動けない理由にするのは、もったいない。
 本当は、嫌なこと、不快な日常を変えたくて、過去と向き合ったのだから。
 でも、これでは日常を変えたくないと言っているのと変わりありません。

 捏造は必要ありません。
 哀しくて悔しくて腹が立った。
 でも、ここまで生きてきた。
 ならば、そんな自分に寄り添うことを試みてください。
 自分以外の誰かに感情を乗っ取られることほど、時間の無駄はありません。
 その感情が、例え最愛の両親、最愛の兄弟、最愛の子供であってもです。
 もう一度、言います。
 ここまで生きてきた自分にしっかり寄り添い、ここまで生きてきたことに自信を持ち、感情を乗っ取られたことが自分を痛めつけていることを知り、これからどう生きていこう、と相談してみて下さい。

 本当の変化が始まるときです。

 お読みいただきありがとうございました。