木偶の坊

 中谷英貴です。

 誰にも相手にされない木偶の坊。

 ググってトップに出てきた説明では、
『でく(木偶)のように役に立たない(気が利かない)と、人をののしる語』
なのだそうです。

 天才、スパースター、神様になるのは大変で、そもそもそんなものになりたいとは思いませんが、一方でこの「木偶の坊」という存在、なぜか妙に惹かれます。

 「雨ニモマケズ」の中で、宮沢賢治は「ミンナニデクノボートヨバレ」るようなものになりたい、と言っています。木偶の坊とは、賢治の表現をなぞるなら、滑稽で、あーあと周囲が開いた口を塞ぐことも出来ず、でもどこかユーモラスで悲壮感がなくて、なんだか自分に満足して生きてるように見える。
 もし自分がそんな状況だったら、焦って、苛ついて、ビビって、腹を立てて、まごついて、眦を吊り上げて、せかせかちゅうちゅうとネズミのように訳も分からず息巻いて…、となってしまいそうだけど、そんな自分とさえもどこかで折り合って、人のうわさも叱責も半ば受け流して、まあできるようにやっていこう、と達観して生きている。

 何だか、普段自分でダメ出ししている自分を受け入れると、見えてくる生き方のようにも感じます。そんな生き方が、実は、自分も他人も幸せにするのかもしれない。

 表現は全く違うけど、著書『アホは神の望み』で筑波大の村上和雄先生が言っておられることも、同じようなことだと思います。

 結局、それが世間の物差しから一線を画した、自分に優しい生き方なんだろうな。

 最初に、誰にも相手にされない、と書いた木偶の坊、ほんとはたくさんの人が相手をしてほしい、そんな人ですよね、きっと。

 そうではないと頭ではわかっていながら、日々、世間の評価の視線を自分の価値と混同してしまう私たちにとって、自分が救われる一つの指標がこの言葉の意味ではないでしょうか。

 お読みいただきありがとうございました。