客観視するな!

中谷英貴です。

 客観性。

 冷静さとか、クールさとか、俯瞰するとか、
 そんなニュアンスとも重なるワードだと思います。

 実践できればいいと、
 誰もがどこかで感じていて、
 でも、意外になかなかうまくできない。

 客観性に優れた人を思い浮かべようとすると、、
 静かな科学者とか、
 冷徹な経営者とか、
 あるいは、
 年配の落ち着いた感じの隠居された方とか、
 になるでしょうか。

 中高生の頃、
 毎晩のように衝突する父母を見ていて、
 もう少し客観的に受け止められないのかなと
 胸を痛めながら感じていました。

 その家族が離散し、一人が自死し、
 世界と自分の接点が感じられなくなり、
 混乱と無気力に支配されたおかしな状態になった時も
 必死になって、
 客観的に自分の置かれた状況を
 理解しようと努めました。

 それはある意味成功したかもしれませんが、
 自分の置かれた立場を理解することはできても、
 自分の中の混乱や無気力に支配された状態から
 抜け出ることはできませんでした。

 ちょうど、高熱を出した原因と現状について
 理解することができても、
 高熱を下げるための処方を行っていないため、
 高熱が出たまま、
 「なるほど自分はそういう理由で苦しいのか」
 と考えているようなものでした。

 …ちょっとお馬鹿さんだったかな…。
 今はクスリと笑えるようにはなりましたが。

 自分の大切な存在がおかしくなって
 勝手にばらばらになって
 勝手にこの世から去っていくのに、
 客観性もあったものじゃないですよね。

 その時に必要だったことは、
 徹底して主観的になって
 自分の中で
 荒れ狂い、
 混乱し、
 無力感に陥り、
 泣きじゃくり、
 怒りに震え、
 恐怖に慄く
 自分を感じ取り、
 そんな一人一人の自分を
 しかるべき場所で認識し、表現し、
 しっかりと抱きとめ、
 自分の内側に統合することでした。

 それを実践するまでの
 ずいぶん長い間、
 私は客観性の檻に閉じ込められていたのだと思います。

 客観性は、
 主観性を認めてはじめて
 有効性を発揮することを
 身をもって知らされたときでもありました。

 客観的に考えよう、はいいと思うのです。
 でも、NHKの公平公正中立ではないけれど、
 客観的と言っていることの多くは、
 主観的に実行していますよね。
 
 お読みいただきありがとうございました。