仮面をかぶった本当の自分

中谷英貴です。

 人と接するとき、自分の感情、考えを何もかもストレートに表現するだけの人はいないと思います。会社や、学校や、友人どうしや、隣人どうしで、自分がどんな立ち位置、関係性にあるかを想定して、言葉遣い、表情、振舞い、回数、距離、そういったものを、考慮しながら接します。
 家族の中ではもう少し本音に近い接し方になりますが、それでも、家族構成員のそれぞれが本質的なところで互いの領域を尊重して大切に接する限り、接し方・表現に気を付けるという意味では同じではないでしょうか。

 仮面をかぶる、という表現があります。
 ご存知のように、自分の感情や本音と異なる態度があたかも本当であるかのようにして人と接するときに使われますね。相手に言いづらいこと、相手が喜ばないことを言えるかどうかは、関係性のバロメーターだと思いますが、それを伝えられる関係でないほど、人は仮面をかぶって表現を選択します。
 あまり良い意味でつかわれる言葉ではありませんが、上述の家族内の例にもあるように、時と場合によっては、相手の領域を尊重するという観点からすれば、大人の態度ということもできます。

 問題は、例えば圧倒的な権力を持つ上司に対して、いつも注意ばかりされ、びくついて、ただヘコヘコと頭を下げ続けたり、よーく心の底をのぞいてみればそんな気分では全くないのに、周囲に良く思われたくて笑いを取ろうとおどけるように、本音の自分を無理やり偽るべくかぶる仮面で、これが続くと相当に息苦しい。
 そういう関係は少ないほうが生きていて楽ですが、なかなかそうもいかないという方もいて、そんな仮面をかぶった自分を嘘偽りの自分として、“本当”の自分なるものをさらけ出そう、と躍起になることがあります。特に、怒り、恨み、卑屈を押し殺して、相手に合わせてばかりいると、息苦しさが募り、最後はそんな仮面をかぶっている自分に落ち込んで抑うつ的になってしまうことに耐えられなくなるのかもしれません。

 仮面をかぶって相手に合わせる自分を、嘘偽りの自分とする解釈は、自分の変化を妨げます。
 その仮面をかぶったのは自分の選択で、仮面をかぶった“本当”の自分として相手と接している、そう受け止めることで、これからの人生を変えていく可能性が広がります。

 仮面はよい方向に機能すれば、相手を思いやることであり、尊重することです。
 どう表現したらよかったろうか。
 この仮面を選択した自分の心持ちはよかったろうか。
 自分を傷つけず、しかも相手に想いをしっかり伝えるためには、どう表現したらよいだろうか。
 そういった振り返りや思考の整理をして、ちょうどよい表現方法を見出すことは、自分を知ることでもあるわけです。

 素の自分は大切です。
 できうる限り、心の中にしっかりと感じ取れるといい。
 ですが、それを外に向けて垂れ流すことがベターとは限りません。
 仮面は、自分を守り、人の関係をつなぐための大切なツールです。

 お読みいただきありがとうございました。