自分を受け入れるために切り分けること

中谷英貴です。

 生きづらさや行き詰まり感を感じている私たちに
 最も必要なことは、
 切り離し、遠ざけ、見失っていた自分を受け入れ、
 寄り添うことです。
 時に癒し、
 時に律し、
 時に遊び、
 時に挑戦し、
 それぞれの自分たちを
 まあお互い変なところもあるけれど、
 一緒に生きていこうとなると、
 かなり良いところまで来ています。

 ですが、そうなる以前に、
 寄り添う自分が痛めつけられている遠因として
 自分の生い立ち、親の仕打ちに行きついてしまうと、
 そこに2つの葛藤が登場し、
 受け入れを滞らせてしまうことがあります。

 一つは、
 毒親という言葉にもある通り、
 育成の仕方以前に、
 自分に悪影響を与えてきた親に対する
 怒りや嫌悪の情に取り込まれてしまい、
 本来、自身の受け入れに向けるべきエネルギーが
 親に向かってしまうことです。

 その反対に、そういう親をして、
 この人もそういう境遇で育ったのだだから
 こうなってしまうの仕方がない、と考えて
 そこからなぜか自分に寄り添うことを
 あきらめてしまう方もまた、少なくありません。

 双方に共通するのは、
 自らに寄り添おうとして湧き出てきた(いつもの)感情に
 翻弄されてしまっていることです。
 それでいて、当人はといえば、
 論理的な帰結で、大人の態度でもあるかの如く
 受け止めています。

 関係ありませんからね。
 自分を受け入れること、寄り添うことと、
 親の仕打ちや親の生まれ育った境遇とは、
 何の関係もないんです。

 何の関係もなくて、
 ただ私たちは
 私たち自身に寄り添い、受け入れる術と、
 そこから息づき出す、
 今より少しだけ世界を信頼できる感覚とを身に着け
 今よりずっと足を地につけた人生を
 歩むことができるようになります。

 そうなると、どこかで歪んでいた
 親や兄弟や子供たちとの関係もまた
 大きく是正されていきます。

 自分に寄り添い、受け入れることとは
 それほどに大きな力になるのです。
 
 お読みいただきありがとうございました。