それが自分のためにもなるように

中谷英貴です。

 何でもかんでも自分ファーストというのはよろしくないけれど、
 かといって、
 滅私奉公、
 自分を殺して相手を生かすことは、
 実は“それ以上に”良くないことだと
 私は考えています。

 大切な、
 家族のため、
 妻(夫)のため、
 子供のため、
 彼(彼女)のため、
 親のため…

 ある時までは機能していた
 頑張るための強烈な原動力が
 ある頃からどうにもうまく働かなっている。
 力が入らず、
 いつも体のどこかが不調で、
 苛立ったり、落ち込んだりすることが多くなり、
 胸が苦しく
 頭は重たく、
 気がつくとふさぎ込んでいる。

 男らしさ、
 女らしさ、
 成功者らしさ、
 美男美女らしさ
 スマートらしさ
 夫らしさ
 妻らしさ
 父親らしさ
 母親らしさ

 あれ?
 ××らしさの中に、肝心の自分が見当たらない。。。

 自分自身が反乱を起こしているんですよね…。
 自分はどこ行ったって。
 本当はそう感じたら、
 ちゃんと弱音を吐いて、
 誰かに相談して、
 自分がどうしたいのかをゆっくりと感じ取る時間を
 撮れればいいのだけど、
 自分以外の、××らしさを生きる姿勢があまりに強すぎて、
 そんな感覚をも曇らせてしまっている。
 
 父も母も、
 どこかで自己犠牲の精神を大切に感じながら、
 別のどこかで猛烈な寂しさと、
 そこから派生する怒りや哀しみを抱えて
 生きていたように思います。

 父の場合はどこかでそれが、
 ポンと破裂してしまった。。。
 そうでなければ、
 自らこの世を去るなんてことはしないと思う。

 弱音を吐いてほしかったな。
 弱音を見せて、
 相談して、
 人とつながってほしかった。
 そしたら実は、
 自分が求めていた
 ××らしさの世界に
 自分らしさを加えられて、
 つながることができたのかな、と
 思ったりします。

 でも、それはカウンセリングを学んだことの
 驕りが生んだ解釈なのかもしれない。
 みんな、その時の精一杯を生きたはず。

 今を生きる私たちは、
 もう少しだけ、
 自分に寄り添うことを許容された社会に
 生きています。
 だから、まず最初に自分のことを考えてほしい。
 そうすることができれば
 自分を受け入れられた分だけ
 今度は他の誰か、何かのことを考える。
 ところどころ自分に見え隠れする心の綻びを
 誰か他の人と分かち合うことができて、
 相互依存も始まる。

 そうやって、等身大の自分のまま
 人と、社会とつながることができるようになる。
 
 お読みいただきありがとうございました。