一挙手一投足への感じ方の変化

中谷英貴です。

 自己批判が自分を押し潰すほどに強いときは、
 何をしていてもつらい。
 これはかつての自分を思い出すに…
 いえ、今も時に陥る現実を振り返っても
 そう思います。

 一歩足を前に踏み出す行為も、
 立ち上がることも、
 人と視線を合わせることも、
 パソコンのキーを打つことも、
 たかがそんなことと思えることさえ
 ほんとに何もかもがつらい。

 そんな時、
 自分の機嫌を取ることができればいいのですが、
 自分の機嫌を取ることができるとは、
 それなりに精神的に成熟しているわけで、
 私たち(読んでいる人すいません)のような一般の人が、
 そうなってしまう時、
 鬱で寝込むのでなければ
 犯人探しをしてしまいがちです。
 犯人の中には、もちろん自分も入ります。

 現実環境で、
 仕事があわない、
 上司が嫌だ、
 から、
 夫が
 妻が、
 父さんが
 母さんが、
 とか
 あいつが、
 こいつが、
 誰だれが、
 仕組みが、
 システムが、
 ルールが……。。

 そして、
 犯人を追ってあちこち駆けずり回って、
 滑って
 転んで
 ぶち当たって
 叩かれて
 怒鳴られて
 孤立させられて
 結局行きついたところは元の場所、
 つまり自分自身の内面でした、
 なんてまるで、
 幸せならぬ原因探し版の
 メーテルリンクの青い鳥のような
 結末になったりします。

 でも、そこまでたどり着けるなら、
 実は結構たいしたもので、
 それを本気で信じられるようになると、
 変にメンタルがやられることも少なくなります。
 逆に、そこにたどり着けない人は
 感情を荒げながら、
 自分の心身をどんどん蝕んでいる現実に
 気づけません。

 我が身の不肖を顧みず、
 そこに気づいてもらうためにはどうしたらいいかを
 日々足りない頭をひねくっているのは、
 やっぱりどこかで
 そんな状況に見えた
 父と母のことが胸の中にあるからでしょう。
 彼らなりに一生懸命生きていたことも
 今なら胸が締め付けられるほど
 よく理解できるのですが。

 いずれにせよ、
 そんなことに気がついて、
 自分の扱い方を変えて、
 徐々に自尊心が増加してくると
 (自尊心0の人は生きていません)、
 周りに左右されにくくなって
 自らの一挙手一投足の変化に
 感動さえするようになります。

 納得する自分の生き方が進んだと
 感じる時ですね。
 
 お読みいただきありがとうございました。