通勤ラッシュ後のひっそりとした時間
中谷英貴です。
とりとめのない話です。
先日、用事で、朝10時過ぎの電車に乗る機会がありました。
電車はとてもすいていて、ひっそりとした駅のホームから乗り込んだ車両には、年配の女性と母娘らしい親子連れが一組乗っているだけでした。
すぐ後に、乗り込んできた恰幅のいい男性が、「あちー」と言いながら、少し後方のシートに文字通りドスンと尻もちをつくように腰を下ろしたため、車両がぐらっと揺れました。思わず彼の方に目をやってから二人でくすくすと笑う親子連れと目が合い、続いて目が合った年配の女性と思わず笑みを交わしてしまいました。
動き出した電車のシートに座って、斜め前の席でスマホを見ながら話しこんでいる親子を身ながら、二時間前は人混みでごった返していたはずのシーンを想像してみました。
ラッシュの混雑だろうと、通勤のためだろうと、同じ場所にいる見知らぬ誰もが、望むと望まざるとにかかわらず一期一会だと私は思っているので、そこで起こる接触もまた、何かの縁ではないのかな、と時々考えます。袖すりあうも他生の縁とは、誰が考え付いたのかは知りませんが、本当によく言ったものだと感心します。
きっとそうであってほしい、そして自分もそうありたいのでしょうね。
本来、誰の中にも眠っているはずの人恋しさ、つながりたい気持ち。
混雑の中で起こる諍いや苛立ちは、自分が抱える苦しさや行き詰まり感を誰かに投影したときに起こっていることがあります。
これだけ多くの人が日々触れ合っているのだから、反目しあったり、鬱陶しがったりするよりも、ちょっとだけ余裕をもって、自分がそうであるように、相手もまた相手なりの事情があって、“そういう振舞い”をしている、と考えてみませんか。
きっと、自分が楽になります。
心の底で求めてることって、誰もそんなに変わらないはずだから。
お読みいただき、ありがとうございました。