心の病はいらない
中谷英貴です。
心の病は、なりたくてなるものではない。
だから、『心の病はいらない』も何も、最初から欲しくなどない。
それは至極当然の考え方だと思います。
原家族の離散からしばらくの間、抑うつと混乱が同時に体の中に巻き起こっているような状態が続きました。抑うつは今から思えば明らかな鬱の症状で、一方の混乱は、体の中で制御の狂った戦車が四方八方に向けてやたらに発砲し続けるようなおかしな状態の、今でいうパニックを呈していたのだと思います。
まだ若くて人生経験もなかった上、精神医療やカウンセリングの情報が乏しく、さらに偏見も重なり、そういった場所に近づくこともしませんでした。一人で苦しむ状態が続きました。
とにかく、窒息しそうで、狂ってしまいそうで、体がばらばらになってしまいそうで、つらかった。ほんとは、つらかった、とさらりとは書きたくないほどのたうち回っていたのですが。それが今も覚えている、当時の正直な感覚です。
その後、心の状態について専門的に学び、今はある程度市民権を得たいくつかの症状について知識を得つつ、なぜ私たちはそんな状態になるのか、について思いを巡らせました。遺伝を原因にあげる説が主流である一方、30%とも50%ともいわれる因子保有者の割合と発症率とのミスマッチに、その説の信憑性がしっくりこなかったからです。
ともあれ、居づらさ、生きづらさ、行き詰まり、無力感、憤り、絶望、無気力…、これらを経由して発症する症状のどこまでを病の範疇に入れるかはおいておくにしても、どれも何らかの原因から落ち込む感情の谷間で、一度はまり込むと抜け出ることのに苦労する場所です。
実は、そこにいることがある種の安定をもたらすからです。
「そんなことはない。苦しくて仕方がないんだ」
「適当なこと言うな」
「安定してないから苦しいんだ」
そう言いたくなる気持ちもわかります。
先述のとおり、私もまたそんな世界生きてきましたから。
ただ、決して責めているわけではありません。
私たちは、体ばかりではなく、心にもホメオスタシス(恒常性維持機能)を備えていて、不安定な状態には長くいられません。家族という愛着の温床で身に着けてきた世界に亀裂が生じ、不安定な状態になったとき、それを解消して何とか正常な状態にするために、仮初であっても安定を必要とします。それが、私たちが陥る症状の理由の一つです。
そんな苦しい症状が安定?
そう思われるかもしれません。
でも、何を基準に笑って泣いて怒って喜んで、そして生きていけばいいかが見失われて、今の自分がどんな状態かわからないこと、自分が感じていることが何なのか不明であることほど、不安定な状態はありません。
だから、どんな状態であれ、無意識が安定を求め、機能したわけです。
さて、このようにして陥った状態。
それは、決して運命などではありません。
遺伝が原因でさえない場合もあります。
もう一度。
遺伝が原因でないことも十分あるのです。
むしろ遺伝以外の原因の方が圧倒的に多いのではないでしょうか。
私たちが陥る『心の病』は、育成環境とその中で身に着けた解釈がもたらした適応の結果です。だから、陥ったその時は、そんな状態になることが生きながらえるために必要だ、と判断した私たちがいたわけです。
それが必要がなくなった後も、気づかずにその状態を継続するような生き方を続けている。
心の病はいらない、とはそういうことです。
お読みいただき、ありがとうございました。