生活習慣を変えよう

中谷英貴です。

 私たちは日常生活の様々なことを習慣化して生きています。朝起きる時間、食事の時間、出かける時間から夜眠りにつく時間、食べ物、量、言葉の選択、受けた行為の解釈の仕方、そういった諸々のことについて、長く生きてくるうちに身についたことを習慣とすることで、ある一定の傾向に沿って生きるようになっています。
 生活習慣は、私たちが漠然と考えるより日常の隅々にまで影響をもたらします。カロリー過多と運動不足からくるメタボリックシンドロームは有名ですが、それは顕著な一例で、実際にはほぼすべてのことがこの習慣で説明できてしまうと私は考えています。

 例えば、食べすぎ飲みすぎがそれ以上の意味を持たないこともあるでしょうが、何かを忘れようとする誤魔化しだったり、社会的にうまくいかない自分をいじめる行為だったり(太ったり、胃腸に過剰な負荷をかけようとしたり)する場合もあります。女性にみられる過食症はその一つですが、性別によらずワーカホリックがこことつながる場合もあります。さらにその裏には、自分の存在に対する不安定さ、未来に対する不安、よく言われるように自己評価の低さなどを、そんなところで紛らわすこともあります。

 これは食べ物の話ですが、考え方、感情の選択もまた同じです。
 ここに書きました。↓
 https://nakatanihidetaka.com/metabo/

 何かにつけて文句ばかり言ったり(当人の中では正当性があるのでしょうが)、すぐかっとなって怒ったり、ちょっとしたトラブルのたびに自分はダメな奴だと落ち込んだり、ミスをするたび生い立ちのせいに逃げたり、といったことは、認めたくないかもしれませんが、日々の習慣の中で根付いてしまったものです。
 私たちは、ある出来事の解釈や感じ方を当たり前のように行っていますが、それは個々人が生まれてから培ってきた感性に基づいて選択しているもので、その積み重ねが今目の前に現れているわけです。
 仕事の選択から、人の言葉の受け止め方から、帰り道の選択から、笑顔から、何から、です。

 実はこの理屈は多くのことに当てはまると思います。日常のさりげない行動一つ一つがそこに根ざしています。ちょっとしたミスや小さな怪我、忘れ物。事故や事件。
 これは言い換えれば、変えていける、ということです。
 そして、変えていけることが、日常の隅々にまで存在し、それが明日からの私たちの日々をも変えていくことができます。

 お読みいただき、ありがとうございました。