命を削るような“ダメだ”はダメだよ

中谷英貴です。

 「もうダメだ」
 「そんなのダメに決まってるよ」
 昔よく使った言葉です。
 行き詰って弱音を吐くとき、
 誰かに助けてもらえそうにないとき、
 自分の力を信られそうにないとき。

 ダメ。
 できない。
 無理。

 ある意味、その程度、という言葉。
 でも、私にはとても重苦しい言葉です。 

 仕事が二進も三進もいかなかったり、
 明日の締め切りに間に合いそうになかったり、
 とてもノルマを達成できそうになかったり、
 そんなことが続くうち、
 つい弱音を吐いてしまう。
 「もうダメ」

 加えて、
 毎日上司に怒鳴られイビられ、
 どう工夫しても仕事に興味がわかず、
 朝早くから夜遅くまで働き詰めで、
 週末は放心状態で一日を過ごし、
 そうやって生きていくうちに、
 つぶやくようになってしまう。
 「もうダメだ」

 何とかそんな日々から逃れるために
 自分を変えようとしても変化を感じられず、
 自分に見合う働き方を求めても得られず、
 転職してももっとひどい状況になったり、
 怖くて一歩を踏み出せなかったり、
 そんな日々が続くうち、
 勘違いが起こる。
 「もう絶対にダメだ」

 私がこの言葉を使わなくて済むようになったのは、
 心理のことを学んだり、
 自分の頑なさを緩められるようになったり、
 この言葉がもたらす悪影響を感じたり
 するようになったからですが、
 そのきっかけは父の死に際して聞いた妹の話でした。

 父が自死するひと月ほど前、
 夢に出てきて、こう言ったそうです。
 「俺はもうダメだ」

 父の弱音を聞いたことがない身からすれば、
 私よりずっと混乱していた彼女が夢で見たことが
 父の本音だと信じたわけではありません。
 ただ、自ら逝くことを選択するまでには
 限りない葛藤があったはずで、
 時間と仕事とお金に対して
 ある時、何もかもが限界という錯覚に
 陥ってしまったのかもしれません。

 “ダメ”なんて、ほんとはそんなこと、
 どこにもないんですよ。
 ただその時の状態では、
 その時に漠然と思い描いていたものを
 満たすことが無理になったということ。
 基準を少し変えてやれば、
 計画を少しずらしてやれば、
 プライドや卑下を少し緩められれば、
 “ダメ”なんて消し飛んでしまう。

 自分や人の命を削るようなことは確かに“ダメ”だけど、
 仕事の行き詰まりや、
 自分の生きづらさや、
 幸せが見えない辛さは、
 今まで必死になって生きてきた方向から少し力を緩めて、
 自分に寄り添って生きるように試みていると、
 「ダメだ」
 とつぶやかなくても済む程度に、
 もうダメだと感じた自分も周囲も変化を見せ始めるんです。

 …これは真実だと思うけれど、
 父にそうして生きていてほしかったと今も切に感じるから、。
 今日の話を書いています。

 お読みいただきありがとうございました。