父の記憶2 - みんな本当の自分

中谷英貴です。

 昨日、父のことに触れました。
 私たち子どもに、
 「お前たちがいるから、自由に生きられない」
 と出てきた言葉に、胸が痛んだことを思い出した、
 というお話です。

 このとき父は、自分の生き方に不満だった。
 それを私たちに転嫁しようとしていました。
 同時に、そうする自分の狭量さというか、
 本質からのずれにも
 薄々感づいていたことをも、
 私たちは子供心に感じ取っていました。
 自分の至らなさに苦しんでいて、
 それがそんな形で出ていたのだと思います。

 本当の自分は、こんなものじゃない。
 本当の自分は、こんな生き方をしない。
 本当の自分は、こんな立ち居振る舞いはしない。
 本当の自分は、
 本当の自分は、
 本当の自分は……

 自分が求める、気持ちのいいものを、
 未来に向けてくれればよかったのに。
 今でも一瞬そう思ったりします。

 本当の自分は、“探して”見つかるものじゃないんだから。
 刹那的な快を除けば、
 気持ちのいい生き方でさえ
 ある種の霊性、諦念、決意、
 そういったものとの相互作用の中で
 確かになっていくと思います。

 だから、どんな自分も、
 全部認めてくれればよかった。
 もっと自分を認めてくれればよかった。

 自分とのつながりを押し殺して働き続けた父さん。
 ゆっくりと休んでください。

 お読みいただきありがとうございました。