何ができただろう

中谷英貴です。

 父母が憎しみをぶつけるような衝突を繰り返していた頃
 互いにやっていたことは
 いかに自分が正しいか、
 いかに相手が間違っているか
 という自己主張でした。

 当時は、特別ひどいことをしているように思っていました。
 人にもよるのでしょうが、実際には大なり小なり多くの家で
 起こっていることは、
 コロナ禍のDVの件数増加からも
 容易に察しがつきますし、
 少なくとも私自身が耳にする限り、
 特別なことではないのではないかなと思います。

 ともかくも、
 父母はいったい何を主張したかったのだろうと
 少し落ち着いてから考えたことがあります。

 二人ともどうしようもない混乱の中にいて、
 混乱の中にいることも見えていなくて、
 不安定で不定形で不確かで
 消えてしまいそうな自分という存在がここにあるということを、
 相手に確かめてほしかったんだろうなということです。

 ほんとうは、
 怖かったんだろうなと思います。
 苦しかったんだろうなと思います。
 互いに、
 どうしようもない極貧の中から何とか生き残って、
 安定した職で糧を得られるようになって、
 子供は大きく育って
 後は幸せな老後を迎えようと準備するところなのに、
 それを担保するものが見当たらない。

 これが、おかしな擁護の仕方になっている側面は
 否定しません。

 ただ、
 生きるということの寂しさを
 そんな形でしか表現できなかった父と母、
 特に父について、
 今自分が会ったらできることは何だろうと考えます。

 お読みいただきありがとうございました。