心の闇に灯りをともして、自らの想いを見つめよう

中谷英貴です。

 闇の中にいるとは、
 視界が効かなくなること。
 目を凝らしても何も見えないこと。
 必要な情報が何も入ってこないこと。

 そんな状態をもたらす闇は、
 文字通り漆黒の暗闇…とは限らない。
 影の存在を許さない強烈な光の中。
 濃霧のヴェールがかかった灰色の世界。
 土砂降りの雨中。
 それ以外にも、
 時に、柔らかな無数の泡が漂っていたり、
 時に、水面にきらめく光の反射によって
 視界は巧妙に遮られる。

 彷徨っているとき、
 何も信じられないとき、
 そこにあるのは闇だ。
 黒とも、
 白とも、
 真夜中とも限らない。
 ただひたすらに、自分が見えなくなる闇だ。

 日常的に接している、
 メディアの情報、
 職場の成績、
 学歴、
 世の中の評価、
 はやりすたり、
 見栄えの良さ、
 収入、
 そんな様々な存在が
 心に闇を生み出し、
 私たちを見えなくしてしまう。

 腹の底から納得して生きる上で必要なものと、
 今自分が必要と思っているものとの間には、
 壮絶な大きなギャップがあることに
 気づいている人は少なくない。
 本当は、誰もがどこかで
 見えなくなっている自分を察知している。

 そうであるにもかかわらず、
 まるで何も見えていないかのように、
 まるで何かに絡めとられているかのように、
 今日もまた選択を繰り返し、
 考え、話し、行動している。

 灯りをともす、とは、
 真実を見えるようにする、とは、
 真っ暗闇に光をともすこと、
 “ばかりではない”。
 猛烈な日の光に心を踊らされているならば、
 日陰に入って落ち着くこと。
 ヴェールにかかった灰色の世界に落ち込んでいるならば、
 靄に隠れた感情に寄り添って
 感覚を研ぎ澄ますこと。
 土砂降りの暴風雨に痛めつけられているならば、
 暖かい場所で優しく労わること。

 そのために必要なことは、
 静けさと落ち着き。
 過去の受け入れ。
 今の自分を感じること。
 魂と体を大切にすること。
 
 その時には、
 たくさんのお金も、
 広い場所も、
 豪華な食事も、
 きらびやかな服も、
 素敵な恋人も、
 なくていい。

 全て自分でできることばかりだ。
 
 お読みいただきありがとうございました。