理屈はいつも回り続けるから最初だけにしておこう

中谷英貴です。

 直感。本能。感性。

 理系出身のせいか、
 何でもかんでも理屈で
 物事を割り切っていた時期があります。
 今にして思えば、
 お粗末なことだったと思います。

 理屈で考えることは
 全く悪いことではありません。
 しかし、理屈とは論理、
 つまりデジタル思考、
 0/1思考の世界です。

 藤原正彦さんの言葉ではありませんが、
 理屈=ロジック=論理は、
 初期条件:考え出すスタート地点をどこにおくか
 閾値設定:0と1、はいといいえ、正しいと間違いを分ける線の引き方
 の2つをどう設定するかによって、
 答えが変わってきます。

 その設定は人それぞれで、
 生い立ちや文化や環境によって異なるもので、
 だからある人にとっての正論が
 別のある人にとっての
 屁理屈になったりもします。

 もちろん、算数のように
 ある一定の規則が決まっていて、
 答えを導くだけであればいいでしょう。
 プログラムもLSIも、
 この発想がなければ立ちいかない。
 ですが、
 私たちが一番陥りがちな人間関係の悩みは、
 算数の回答を導くことの対極にあると言ってもいい。
 なぜなら必ず、
 理屈とは別の世界にある
 感情が絡むからです。

 ミスや間違いを指摘するとき、
 相手を追い詰めるロジックを当てはめながら、
 そこに批判や悪態の感情を混ぜて責める人がいますが、
 自分の理屈を伝えたいのではなく、
 結局のところ、
 感情の爆発先を
 どこかに求めているだけに過ぎなかったりします。
 理屈という正当性を担保にしようとしている分
 質が悪いのですが、
 当人たちはいたって真面目なので
 もっと質が悪い。

 この手の典型として、
 あおり運転が言われて久しいですが、
 ハラスメントなどはその典型です。

 ぐるぐると回って結論でないだけならともかく、
 人を追い詰める道具に使いだすと、
 最後は自分が追いつめられます。 

 かつて、両親が互いの理屈で相手を追い詰めるのを見て、
 とても悲しかったことを思い出します。

 相手が恋人や伴侶だろうと、
 親や子供だろうと、
 相手を変えることはできません。

 イソップ童話の北風と太陽は、
 北風が理屈、太陽が感情、なのかな。

 お読みいただきありがとうございました。