夏の終わりに思うこと

中谷英貴です。

 暑さが苦手です。
 パンツ一丁で水辺に座ってのんびりしたり、エアコンの効いた部屋で冷たいジュースを飲みながら本を読んだり、やっぱりエアコンの効いたレストランで友人と話をしたりするだけならいいのですが、なかなかそうもいかない。
 
 今年はかなり違っていたいましたが、例年、6月くらいから気温30度越えが始まり、7月いっぱい続く。そして多くは8月のお盆を迎える前後くらいに一度、フッと暑さの中にかすかな秋の気配を感じる落ち着きを感じます。その後しばらくその状態が続いた後、9月のある日、ある日、暑さが終わったと感じるようになります。
 私はジョギングの習慣がありますが、不快指数マックスだった暑さが暑いなりにも落ち着く頃になると、汗の出方、乾き方、のどの渇き方、疲労の取れ方に変化が生じ、きつい中にも少し体力的な余裕が出るので、そのことに気づきます。「あ、峠は越えたな」と。

 ここまで、暑さ、と書いてきました。
 でも、ご存知の通り、実際には夏を過ごしづらくしているのは湿度ですよね。お盆前後になると、気温はそれほど変化しないけれど、大気中の水分が減り、乾きが涼しさをもたらす。

 自分を受け入れられるようになり、日々の生活が好転しだして、この季節を迎えた頃、気づいたことがあります。
 親のこと、家族のこと、そして行き詰った自分の人生にうまく流すことのできなかった涙がとめどなく流れる時間が長く続き、それがようやく落ち着きだしたことです。
 どうしたらよいかもわからず、体の内側で渦巻いていた凄まじい怒りのために永遠に続くと思われた絶望感が、涙となって放出される場所を見つけると、今度は、いつ終わりが来るんだと感じるほど涙が流れ続け、それもある時、ゆっくりとおさまっていきました。
 ああ、終わりがあるんだ、終わりが来たんだ。
 その時、そう感じたことを覚えています。
 それで、涙を流さなくなったわけではないけれど、感情が自分の行動を占領してしまうようなことはなくなりました。
 自分を受け入れ続けていると、涙が乾くときが必ず来ます。何でそこまで泣いてたんだ、と傷みの余韻は感じながらも、良くなった、強くなった、そういうときがきます。その感じが、なんとなく夏の終わりに重なって、暑さの中に妙に感傷に浸ってしまいました。

 ちなみに、暑さが終わったと感じるのは、なぜか夜、湯船につかっている時で、それほど熱い湯ではないはずですが、それでも湯上りの涼しい快感を求めて入っていたはずの風呂が、ある時暖かい、と感じるようになる時ですね。
 これから秋が始まるんだな、と、その時はお風呂の中でしみじみと思ったりします。

 お読みいただき、ありがとうございました。