夏の記憶2

中谷英貴です。

まだ暑いけれど、それでも一時の猛暑は和らいだみたい…
昨日そう感じたのですが、今日はまた朝から暑くなっていました。。。

季節ごとに思い出はあるものだけど、個人的には総じて夏は他の季節より良い思い出が少ない、と長い間思い込んでいました。
中高生の頃、夏は部活でへとへとになるまでしごかれて、おまけにいつものどが乾いていて(水分補給を調整していた)、毎日体がきついなと感じていたからです。
ちょうど、親の問題が顕在化し始めた頃というのもありました。
一歩引いてみれば、そういう見方をすることによって、過去を嫌なことばかりだったと感じる理由にしていたのでしょう。

ばらばらになった自我をかき集め、自分を受け入れることを繰り返す中で、徐々に思い出すようになったことがありました。ずっとそこにあったけれど、あえて見ないようにしていた記憶、そして感覚。
朝の匂い、プールで泳いだ後の浮遊感、友達と出かけた午後、シャーベット、レモネード、蝉しぐれ、デート、昼寝、夕立でびしょ濡れになって大騒ぎした夜、近所の人たちとやった花火、……。思い出せばいくらでも出てくる、ささやかで、誰にもありそうな、記憶。その後何が起こったにせよ、決して色あせることのない自分の一部。

そうやってもう一度家族を振り返ってみると、金もなければ仲もよくなかったわりに、皆で買い物に出かけ、釣りに行き、田舎に帰省していました。

それが私にとっての家族でした。
当然のように信じていたのだと思います。
いつまでも一緒だということを。

そんなことは終わったことだ、過去の過ぎ去ったことで今の自分には関係ないことだ、そう思っていた時期もあったけれど、それを乗り越えた今、はっきりと言えることは、あの時の気持ちに嘘は一切なかったし、今だって信じられる、ということです。
それは今もしっかりと私の中に根付いていて、私の生の一部を支えてくれています。

今、生きているということは、誰しもの無意識の中に、そういった生を支える想いが眠っているのだと思います。