海の記憶

中谷英貴です。

今年の夏はコロナのおかげで、多くの人が外出自粛を余儀なくされました。
そんな夏でしたが、今年は海に行かれましたか?
私は海釣りをやりますが、今年は海岸沿いを車で通った以外、特に足を向けることもありませんでした。

自分の趣味から海の話をしましたが、別に海でなくても、山でも川でも高原でも森でも田んぼでも、キャンプでも一人旅でもペンションでも街中のパーティ会場でもボートでも、家の中でも公民館の卓球場でも何でもいいんです。

生まれ育った環境にそんな場所が身近にあって親しんだり、
親や身近な大人の趣味に付き合わされるうちに自然に親しむようになったり、
クラブやスカウトに入ってそういった場所で楽しむのが当たり前になっていたり、
あるいは単に趣味が高じてそんな場所に入り浸るようになったり。

そういった場所を持っていると、多少心が病みかけたり、抑うつ的になったり、人との関係が行き詰ったりしたときに、なまじクリニックで薬を処方してもらうより、よほど効果的というか、癒し、安らぎの本質を感じることができる、とよく思います。
カウンセラーと名乗る私の立場でこんなことを言うのも何ですが…。

私の場合、川や海の水場は子供の頃から親しみを感じる身近な場所の一つです。
何か行き詰って、心持ちや思考にちょっとした休息を欲したり、ちょっと違う視点で物事を見たり感じたりしたいとき、自然に足が向かいます。

メンタルクリニックのお医者さんが主宰したアドバイザ養成の講座や、医療機関のミーティングの場で患者さんの話を聞いていると、なかなかそういった方向に足が向かない人が多いようです。そんな気分にはとてもなれないし、また余裕もないのでしょうけれど…。動ける人は、ほんの少しでも試してみれば何か感じられることもあるかもしれないんだけどな、と思うんですよね。
行き詰って病んだ心、停止した思考、苛まれる無力感などは、突然よくなるものではなく、時折そういった時間と空間に身を委ねることで、安らいだ気持ち、落ち着きをもたらしてくれる感覚を感じ続ける中で、ゆっくりと回復していくこともあるものです。

私の中にある海の記憶は、真夏の炎天下や秋の暮れなずむ防波堤で釣り糸を垂れていた時の、波の音や海の匂い、遠く広がる濃厚なブルーグリーンの水の色、そして時々そこに一緒にいた両親や友人たちの姿や声とつながっています。

もうどうでもいい、二度と会いたくない、縁を切りたい、一度はそう感じざるを得ない出来事の連続から疎遠にしていた彼らの存在は、自分を大切に生きる術を学ぶ中で、自分を構成している大切な存在だったことに気づくようになりました。そして、何よりその時そこにいて没頭していた自分がしっかりとその時間の中で息づいていたことをも感じるようになりました。それは生きる確かな力を今の私に与えてくれます。

記憶は過ぎ去った時間というだけのものではありません。
いつもそこにあって、あなたに力を与えるときを待ってくれていると思います。
拙文を読まれたあなたが、そんな時間を内在化するきっかけになればと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。