免罪符

中谷英貴です。

免罪符とは、カトリック教会で献金等をした信者に教会が与える、罪を免除する証書のことですね。本来、キリスト教にはこのような考え方はなく、カトリック教会の腐敗の中で形作られたものだといいます。

相手の残酷さや己の不幸を滲ませる両親の諍いが子供に与える影響は計り知れません。
反対にそのような環境に胸を痛めつつ、“それを理由に”自分の人生を放棄していないでしょうか。

“それを理由に”。

つまり、自分の置かれた環境・境遇を、何かすべきことをしなかったり、してはいけないことをするための免罪符として生きていないか、ということです。

私たちは例外なく親を経由して世の中と人の関係を内在化し、自分たちが生きていく未来を作り上げていきます。
自分に端を発するわけでもない争い、時に最愛の両親の憎しみを表現しあうような争いの環境に育つと、世界は争いであると植えつけられる。
これは苦しい。

それに気づいた方へ。
心の距離は、とれているでしょうか。
難しい?

逆説的ですが、両親を責めるのは筋違いにして、何の解決にもなりません。
それはあなたの人生ではないのだから。

まず、あなた自身の混乱を受け入れて、そんな自分に寄り添う感覚を生み出すことが解決の第1歩です。社会に出て、自分の不幸な生い立ちに逃げ込んで、被害者の位置にこもらないようしましょう。自分を悪者に仕立て上げないようにしましょう。
偉そうなことを言いながら、一度は逃げ込んで自分を悪者に仕立て上げた末に、恢復を遠回りした人のコメントとして、記憶の片隅にでもとどめておいていただけると嬉しいです。。。

自分のことばかりケアすることが気になるというのであれば、そうではありません。
あなた自身が納得のいく人生を歩んでいることが伝わると、親もまた変化していきます。

自分さえよければ、ではなく、まず自分がよくなることです。