母との邂逅

中谷英貴です。

先日、お盆を兼ね、日帰りで親が眠るお墓に行ってきました。
現在暮らす横浜近郊の部屋から、愛知県最西部の僻地、交通の便の良くない場所まで片道5時間、三密を避けることを意識した真夏の東名高速の往復でした。

私は昔、20年近く母と疎遠にしていた時期がありました。
その間に母は、街中から田畑の広がる田舎に引っ込み、一度は心と体を壊すほど恨んだはずの伴侶(私の父)の死を弔っていて、当時は、母が暮らす家も墓の位置も知りませんでした。長い歳月の末、邂逅を果たしたのは、心理カウンセリングを学び、過去を棚卸しし、自分を許し、受け入れるようになった頃のことです。

その後、母が亡くなるまでの何年か、季節の折り目に会いに行くようになりました。かつて心の中に渦巻いていた「親の人生の責任を押し付けるな」という子供の頃の感情は薄らぎ、時に意見がすれ違いながらも、昔のアルバムを見たり懐かしい話をしたりするようになりました。

そうやって話し込むほどに、母親とは切っても切れない絆でつながっていることを再認識させられたものです。望むらくは、そこに父がいてくれたらと思ったのは、虫が良すぎるかな。

お墓参りにいくと、そんなことを思い出させてくれます。

今、親との、家族との関係にどれほど心を痛めていたとしても、自分も親も受け入れられるような、そんな日々を実現する可能性があることは忘れないでほしいと思います。

お読みいただき、ありがとうございました。